尻内村(読み)しりうちむら

日本歴史地名大系 「尻内村」の解説

尻内村
しりうちむら

[現在地名]八戸市尻内町 尻内など、一番いちばん町一―二丁目

八戸城下の西、浅水あさみず川の河口左岸の沖積地に位置する。村の南西端を浅水川が東流し、南東端で馬淵まべち川と合流する。東は長苗代ながなわしろ村、馬淵川を隔てて根城ねじよう村、南は同川を隔てて田面木たものき村、北は根岸ねぎし村、西は矢沢やざわ村・根市ねいち村に接する。

建武元年(一三三四)の多田貞綱書状(遠野南部文書)に「一戸工藤四郎左衛門入道跡 同子息左衛門次郎跡 八戸上尻打」とあり、当村の「上尻打」が工藤四郎左衛門の子工藤左衛門次郎の所領から南部師行・戸貫出羽前司・河村又二郎の共預地となっている。同年七月には伊達大炊助三郎次郎光助に新給された(「北畠顕家国宣」同文書)永禄(一五五八―七〇)の頃には櫛引氏の所領とされていたが、元亀二年(一五七一)の戦いにより根城南部氏領に編入されたという(「南部八戸家系」南部家文書)文禄(一五九二―九六)の頃と推定される七月二七日付俊恕書状(遠野南部文書)には「丞殿文詞届申候可申候而可預之 先度ハ尻内まて御送中く過分之由頼入候」とあり、目時めとき(現三戸郡三戸町)から懐紙を送ったことが記されている。

尻内村
しりうちむら

[現在地名]栃木市尻内町

あずさ村の西、永野ながの川中流域に立地し、村域はさらに西方初音はつね山方面に広がる。南は千手せんじゆ村など。初音山は源義家が鶯の声を聞いた地と伝えるほか、義家が陣を構えたという内宿うちじゆく、義家の馬を葬ったという駒岡こまおかがあり、尻内についても義家が馬の尻を鞭で打ったことによるという伝説がある。また永野川の水が春から秋にかけて少なくなるところから尻内としたともいう。交通の要地で、栃木町と永野川上流地域を結ぶ道と、例幣使街道金崎かなさき宿(現上都賀郡西方村)葛生くずう方面を結ぶ道が交わり、鍋山なべやま石灰、永野方面の木材・薪炭などが巴波うずま川河岸に運ばれ、出流いずる山詣の通路ともなった。幕末には水戸天狗党が止宿している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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