小石川戸崎町(読み)こいしかわとさきまち

日本歴史地名大系 「小石川戸崎町」の解説

小石川戸崎町
こいしかわとさきまち

[現在地名]文京区小石川三―四丁目・白山はくさん二丁目

小石川伝通院御掃除こいしかわでんづういんおそうじ町の北西方、伝通院境内北方にあり、小石川(小石川大下水)の北側に散在する町屋。おおよそ六ヵ所に分れ、うち東側の四ヵ所は伝通院領の年貢町屋、西側の二ヵ所は拝領町屋であった。「御府内備考」によると、かつてこの辺りは一円沼川の地で、小石川の流れも一帯の沼水を入れて小川おがわ(現千代田区)方面へ流れていたと伝える。また当地の北方の地が小石川御殿用地に取立てられた承応元年(一六五二)以後も小石川には通船があったという。ただしこの辺りは遠浅で着船できなかったため、沼地の一、二町隔たった地に船をつないで荷の積卸しをしていたとされる。この船の舳先が小石川御殿の方へ向いていたことから御殿下にあたる当地が町地に取立てられた際、舳先へさき町と唱え、戸崎とも記したが、のち「とさき」と称するようになったという。

伝通院領の町屋四ヵ所はかつて同院領小石川村の百姓地であったが、明暦二年(一六五六)に百姓町屋を許され、延享二年(一七四五)に町並地になった。四ヵ所は東方・西方・北方および中ほどと分れる。中ほどの町屋は小石川御殿御門下の通り(戸崎町通)北東側を占め、この通りを隔てて南西は法伝寺ほうでんじ門前、北は書院番同心組屋敷など。町屋の間口は東西一七間余、南北裏行は東が四間余、西で二間。東方の町屋は中ほどの町屋と小路を隔てた東方にある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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