小城町(読み)おぎまち

日本歴史地名大系 「小城町」の解説

小城町
おぎまち

[現在地名]小城町小城町

近世城下町としての小城町は、小路こうじ・小城町・おか町とよばれた地域である。町の創設は元茂公御年譜によると、室町時代にさかのぼる。同書に

<資料は省略されています>

とあり、千葉氏の千葉ちば城の城下町として祇園ぎおん川に沿って東西に建設され、東方は祇園川を渡って元茂公御年譜にみえる「更町」(現三日月町岡本おかもと地区と推定)まで発展していたことがわかる。しかし、文明二年(一四七〇)千葉氏の内訌土一揆合戦および天文一四年(一五四五)竜造寺家兼(剛忠)による馬場頼周討伐の際、千葉城は崩壊、城下町としての小城町も大きな打撃を受けた。

小城・佐賀・杵島きしま三郡に君臨した千葉氏の勢力失墜とともに竜造寺氏の勃興があり、そのあと小城地方一帯は鍋島直茂(日峰)隠居領となった。

小城町
おぎまち

[現在地名]小城町小城町 上町かみまち中町なかまち下町しもまち蛭子町えびすまち

城下町としての小城町内の一町。現小城町市街部の北部にあり、市街部では最も早く成立した地区である。当町より東北方へ向かい、背振せふり山地に沿って神埼に至る道路を神埼往還と称した。

享和元年(一八〇一)写の御領中郡村附には「小城町 上町・中町・下町」とある。元茂公御年譜によると、寛永年間(一六二四―四四)に藩主元茂がそれまでの祇園ぎおん川沿いの小城町を今日の上町・中町・下町と南北に建設し直したといわれる。

藩政時代、小城町はほく郷の中に入り、大庄屋犬山家の支配下に別当が置かれていた。

小城町
おぎまち

面積:四五・二九平方キロ

佐賀県のほぼ中央、てん(一〇四六メートル)の南麓に展開する町で、東は三日月町、南は牛津町、西は多久たく市、北は天山の尾根を境に佐賀郡富士町に接する。

明治二二年(一八八九)の町村制施行に伴い小城町が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報