小和村(読み)こわむら

日本歴史地名大系 「小和村」の解説

小和村
こわむら

[現在地名]三朝町福田ふくだ

鎌田かまだ村の南に位置し、加茂かも川中流左岸に広がる。南の小河内おごち村の枝村として開発、享和三年(一八〇三)新田として届出され、明治二年(一八六九)藩内限りで小和村と称し、翌年には福田村と改称された(藩史)幕末の六郡郷村生高竈付には小河内村のうち小和とみえ、生高一一四石余、竈数二二。

小和村
おわむら

[現在地名]五條市小和町

金剛山(一一一二・二メートル)東南麓、近内ちかうち村北方の傾斜地立地。金剛山登山口の一。慶長郷帳の村高四〇〇石。うち三〇石は現御所ごせ市の金剛山転法輪てんぽうりん寺領。三七〇石は五条二見藩(松倉重政)領、元和二年(一六一六)幕府領(代官宗岡弥右衛門)、同五年郡山藩(松平忠明)領となり、同藩の二割半無地高増政策により、村高四六二・五石となり、延宝七年(一六七九)以降幕府領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報