尊光寺(読み)そんこうじ

日本歴史地名大系 「尊光寺」の解説

尊光寺
そんこうじ

[現在地名]勝山市本町二丁目

中後なかうしろにある。惣坊と称し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。当寺は村岡むろこ山麓にあった郷民の会所に始まり、天正二年(一五七四)一向一揆が平泉へいせん(現勝山市)を襲撃する際には評定所ともなったという。平泉寺滅亡後、これを北袋川南きたぶくろかわみなみ廿五日講中の惣道場とした。天正二年一二月二九日に本願寺顕如の下付した証如絵像(当寺蔵)裏書に「越前国大野郡北袋川南四ケ村惣道場也」とある。

尊光寺
そんこうじ

[現在地名]満濃町炭所東

下種子しもたね東部高台にあって、長寿山と号し、真宗興正派。本尊阿弥陀如来は像高四七センチの一木造で、鎌倉期の作と推定されている。寺伝によると鎌倉時代の中頃に領主大谷氏によって開基され、弘治年間(一五五五―五八)以降、長尾大隅守の勧進を受けたという。「讃岐国名勝図会」には「当寺は、この処に長尾孫七郎と云ふ者あり。後出家して玄正と改め、天正年中一宇を建立せり」と記し、「全讃史」は玄正は長尾孫七郎で、天正年間(一五七三―九二)に当寺に入ったと記している。

尊光寺
そんこうじ

[現在地名]枚方市津田元町三丁目

浄土真宗本願寺派、山号仲陽山、本尊阿弥陀如来。開創年代は不詳だが、過去帳によると寺祖浄光は長禄二年(一四五八)没している。津田氏一族の寺として室町時代に当地南方にあった畠田はただ道場が当寺の前身といい(津田史)、文禄四年(一五九五)現在地に移ったと伝える。西本願寺よりの寺号免許が寛永一五年(一六三八)、木仏免許は承応二年(一六五三)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報