寺下観音堂(読み)てらしたかんのんどう

日本歴史地名大系 「寺下観音堂」の解説

寺下観音堂
てらしたかんのんどう

[現在地名]階上町赤保内 寺下

赤保内あかぼない南東標高七四〇・一メートルの階上岳の北東山麓に位置する。境内の北側を道仏どうぶつ川の支流寺下川が流れる。藩政期には同河川の北対岸、現潮山しおやま神社の所在地にあった。雑書の承応二年(一六五三)四月二七日条に「八戸之内寺下観音」とあり、藩命により祈祷が行われている。寛文五年(一六六五)の無量院の御立願状(常泉院文書)に「一野沢寺下観音」とある。別称応物おうもつ寺。大同年間(八〇六―八一〇)田村将軍利仁が創建したとも、神亀年間(七二四―七二九)行基が海潮山応物寺として開山したとも伝える(「八戸祠佐嘉志写」八戸市立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「寺下観音堂」の解説

寺下観音堂

青森県三戸郡階上町にある観音堂。「寺下観音」とも。行基の作と伝わる観音像を安置。奥州南部糟部三十三ヶ所巡礼第1番札所

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報