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地歌・箏曲家。盲人。本名吉倉助次郎。文楽の人形遣い吉田玉助の長男。5歳で失明,8歳で大阪富筋の野川流地歌,継山流箏曲家の富崎宗順(1863-1904)に入門。初め左門と名のり,後に富吉春琴と芸名を許され,師の没後その芸姓を継承,1906年富崎春昇と改名した。18年東京に移住し,東京の地歌・箏曲界に関西系の地歌を導入,とくに長歌,浄瑠璃物,作物(さくもの)などの稀曲を紹介した。温心会を主宰するとともに,笹川臨風主宰の古曲鑑賞会にも出演。47年日本芸術院会員,55年重要無形文化財保持者,57年文化功労者。大阪では,菊原琴治が終生大阪にとどまったため,菊筋の地歌・箏曲が保存されたのに対し,東京では富筋が普及し,春昇没後は,その門下の富山清琴(1913-2008)が同様に重要無形文化財保持者に認定されている。また春昇の娘の富崎富美代(1920- )も活躍している。北条秀司が《富崎春昇自伝》を著しているほか,有吉佐和子が,春昇,富美代の父娘をモデルとした小説《地唄》を書いている。
執筆者:平野 健次
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継山流(つぐやまりゅう)箏曲(そうきょく)、地歌の演奏家。本名吉倉助次郎。文楽(ぶんらく)人形遣い吉田玉助の長男として大阪市に生まれる。5歳で失明、8歳で富崎宗順に入門。17歳で継山流箏組歌、19歳で野川流三絃本手の伝授を受け、富吉春琴の芸名をもらう。1904年(明治37)師の没後、芸姓を継ぎ、08年富崎春昇を名のる。18年(大正7)東京有楽座で地歌名曲独演会を開き、翌年東京に移住。47年(昭和22)日本三曲協会会長、芸術院会員となり、55年には重要無形文化財保持者に認定、文化功労者に選出。東京に大阪系の地歌をもたらした功績は大きい。レパートリーも非常に多く、とくに繁太夫物(しげだゆうもの)、永閑物(えいかんもの)、作物(さくもの)などの演奏者としても有名。作曲作品に『春の江の島』『残る雪』『嵯峨(さが)の雪』『花の戸』などがある。
[平山けい子]
『北条秀司著『富崎春昇自伝』(1954・演劇出版社)』▽『藤田俊一著『富崎春昇芸談』(1968・日本音楽社)』▽『平野健次解説『富崎春昇地唄集』(1974・日本コロムビア)』
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…邦楽に洋楽の発声をとり入れたもので,東明節(とうめいぶし)の影響も認められる。新邦楽の一つの典型とされ,富崎春昇(1880‐1958),宮川源司(清元栄寿郎,1904‐63),原信子(1893‐1979)らが指導者で,代表的な歌い手は岸上きみ(1898‐1962),三島儷子(1905‐88)らであった。68年2派に分裂し,三島改め大和美代葵(みよき)と大和久満(ひさみつ)(芳村伊十七,1938‐ )らの派が活躍。…
※「富崎春昇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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