安芸太田(読み)あきおおた

改訂新版 世界大百科事典 「安芸太田」の意味・わかりやすい解説

安芸太田[町] (あきおおた)

広島県西部,山県(やまがた)郡の町。2004年10月加計(かけ)町,戸河内(とごうち)町と筒賀(つつが)村が合体して成立した。人口7255(2010)。

安芸太田町東部の旧町。太田川の中流域に位置する。山県郡所属。人口4618(2000)。太田川に滝山川と丁(よおろ)川が合流する地点の段丘上にある中心地の加計は,古くから山陰瀬戸内海を結ぶ交通の要衝として発展し,江戸時代にはたたら製鉄の中心地で,三斎市が開かれていた。広島との間に舟運が通じ,割鉄,紙,炭などが広島に運ばれた。現在も芸北地方の政治・経済の中心地で,県の出先機関などが多い。林業が主産業で,シイタケ,花木の栽培,淡水漁業が行われる。滝山峡,深山峡などの景勝地があり,モリアオガエルの生息する名園吉水園がある。国道186号,191号線が通じる。

安芸太田町南端の旧村。山県郡所属。人口1291(2000)。中国山地の脊梁部にあり,太田川の支流筒賀川が北東に流れ,川沿いに集落がある。村域のほとんどが山林で,杉,ヒノキの用材を産し,江戸時代にも用材,炭,薪などを広島城下に送り出していた。高冷地野菜,ワサビ,シイタケの栽培,筒賀肉牛の飼育が行われる。筒賀川の支流三谷川にある竜頭峡付近では杉などが原生林に近い状態で保存されている。中国自動車道,国道186号線が通じる。なお,江戸中期の浄土真宗の学僧で教義統一に大きな働きをした大瀛(だいえい)は当地の出身。

安芸太田町西部の旧町。山県郡所属。人口3272(2000)。太田川上流域を占め,中国山地の分水嶺をもって西は島根県に接する。太田川と支流の柴木(しわぎ)川,滝山川が峡谷をなして貫流,中心集落の戸河内は太田川と柴木川の合流点にある。近世には山県郡ではたたら製鉄が盛んで,戸河内はその主産地であった。中世,当地を支配した土豪栗栖氏の本拠という発坂(ほつさか)城跡がある。城跡西方にある古刹実際(じつさい)寺は大内義弘安堵状などを蔵する。恐羅漢(おそらかん)山(1346m),深入(しんにゆう)山(1153m)など高山が連なり,町域西半部は西中国山地国定公園に含まれ,三段峡(特名)などの景勝地がある。用材生産,シイタケ栽培が行われ,また県の電源地帯で発電所が多い。国道191号線が通じ,中国自動車道のインターチェンジがある。立岩ダム近くの太田川左岸の甘日市市の旧吉和村域にかけて押ヶ垰(おしがたお)断層帯(天)が分布する。
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