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安曇江【あずみえ】
古代難波(なにわ)の入江。海部(あまべ)の伴造(とものみやつこ)阿曇(あずみ)氏の居住地であったことによる名称であろう。《続日本紀》によると天平16年(744)2月,難波に滞在中の聖武天皇が安曇江に行幸(ぎょうこう)している。位置は750年の新羅江(しらぎえ)庄の文書に〈東安曇江 南堀江〉とあることから大阪市内を流れる東横堀(ひがしよこぼり)川説,京都市山科区安祥(あんしょう)寺の鐘銘に〈渡辺安曇寺〉とあることから淀川の天満(てんま)橋(大阪市北区・中央区)付近説,1886年の大阪実測図に〈アドエ〉の字名のあることから北区野崎町付近とする説,地名の転化とみて中央区安堂寺町付近とする説などがある。
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安曇江 (あずみえ)
古代難波(なにわ)の地名。744年(天平16)2月,難波に滞在していた聖武天皇が安曇江に行幸したことが《続日本紀》にみえ,新羅江荘(しらぎえのしよう)に関する750年(天平勝宝2)4月の文書の四至記載の東に〈安曇江〉とある。その位置は明確でなく,大阪市中央区安堂寺町の名を安曇寺の転化としてその付近とする説,京都山科の安祥寺所蔵の鐘銘に〈渡辺安曇寺〉とあることにより,淀川の天満橋上流付近とする説,1886年の大阪実測図に〈アドヱ〉の地名がみえることから,北区野崎町付近とする説など,諸説がある。
執筆者:直木 孝次郎
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