天満(読み)てんま

精選版 日本国語大辞典 「天満」の意味・読み・例文・類語

てんま【天満】

(天満宮があるところから呼ばれる) 大阪市北区の南東部、大川(天満川)と天満堀川(埋立て)に囲まれる地域の総称。江戸時代大坂三郷の一つの天満組の地。造幣局がある。

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デジタル大辞泉 「天満」の意味・読み・例文・類語

てんま【天満】

大阪市北区南東部の地名。天満宮があるところからの名。

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日本歴史地名大系 「天満」の解説

天満
てんま

上町うえまち台地の大川を隔てた北にある。古代・中世には渡辺わたなべ、また中島なかじまに含まれ、古代には大川を挟んではいるが、摂津国衙にも近接していたと考えられ、早くから開けた土地であった。中世には北野きたの庄・河埼かわさき庄があったと思われるが、天満の地名は順興寺実従の「私心記」天文二年(一五三三)九月一六日条に「天満森へ行」とみえるのが早い。その後本願寺証如らが天満へ遊覧にでかけている記事が「天文日記」に散見し、当時は天満てんまん(現大阪天満宮)の森を中心とする地域をさしたと思われる。織田信長が三好三人衆、石山いしやま本願寺(跡地は現東区)と戦ったときには戦場となり、元亀元年(一五七〇)には三好三人衆が出陣し、これに対して信長が「天満が森」に陣した(信長公記ほか)

豊臣秀吉の大坂城および城下町建設により、天満も新たな発展の機会をもつ。大名屋敷は黒田孝高・織田信雄(入道して常真)の二邸があったと考えられる(大阪市史)。天正一三年(一五八五)五月、本願寺が天満宮の東側に寺地を与えられ、同一九年京都堀川ほりかわ(現京都市下京区)に移るまでここに存在し、寺内町が形成された。石山合戦で焼失した天満宮も復興し、この時代の天満は同宮の門前町、本願寺の寺内町を中心に発達したと考えられる。同一三年から同一九年まで天満に居住していた山科言経は、その日記に多くの町名を記しているが、彼が住んだ北町や南町・西町・長柄ながら町・五日講町の各町名は当地のものと思われる。また天満の外郭を画した寺町も九品くほん寺などが成立しており、かなり街衢は整っていたとみられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「天満」の意味・わかりやすい解説

天満 (てんま)

大阪市北区の大部分の旧地名。大川以北の地で,旧天満堀川(1872年埋立て)を境として西天満と東天満に分かれる。地名は大坂天満宮鎮座の地に由来するという。天満宮は東天満の中央部に位置し,もと大将軍の森と称する神域であったが,天暦年間(947-957)村上天皇の勅願により社殿を創建し,天満宮を勧請したもので,のち後水尾天皇のとき御神影ならびに天満宮の社号を与えられたと伝える。石山合戦(1570-80)のとき焼失したが,豊臣秀吉が大坂に築城すると,天満宮会所支配人であった大村由己が再建を願い出て,ほどなく社殿を回復した。1585年(天正13)には貝塚本願寺にいた顕如が秀吉から寺地を寄進され,この地に移転して天満本願寺(川崎本願寺)を創建したため,門前町として栄えた。大坂夏の陣後の1615年(元和1)大坂城主となった松平忠明は,大坂市中および近接村落の諸寺院を小橋村,東西高津村と天満村に集め,天満村に西寺町,東寺町をつくり,翌年川崎に東照宮を創建した。このころの天満はまだ大坂市中ではなかったが,29年(寛永6)ごろには天満組となり,惣会所が設けられて,北組および南組とともに大坂三郷と総称されるようになった。町数は三郷のなかでは最も少なく,51年(慶安4)で60町,95年(元禄8)で71町,1780年(安永9)ごろには109町であった。もっとも,天満というときは天満組の範囲よりもかなり広く,堂島,堂島新地から長柄町までをも含み,飛地もあった。雑喉場(ざこば)魚市場とともに,大坂の三大市場と称された天満青物市場,堂島米市場などがあり,また諸藩の蔵屋敷も多数設置されて,大坂の商品流通の一中心であった。明治時代以降は造幣局をはじめ工場の進出も盛んで,大阪時計会社,天満紡績会社やビール工場,ガラス工場などもあった。
執筆者: 第2次大戦で戦災をうけたが復興も早く,官公庁,学校,商店が集中。JR環状線,地下鉄堺筋線,同谷町線,阪神高速大阪守口線,国道1号線が通じ,都心の梅田,中之島に隣接する天満地区は,ビル建設が進んでオフィス街の性格を強めている。扇町公園や通り抜けの桜で有名な造幣局があり,7月の天神祭船渡御でにぎわう。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天満」の意味・わかりやすい解説

天満
てんま

大阪市北区の南東部、淀(よど)川と天満堀川(埋立て)に囲まれた商工業地区。江戸時代の大坂三郷(さんごう)の一つ天満組の地である。中央やや西寄りの天神森には天満宮が鎮座し、付近に天満組惣(そう)会所跡の碑がある。その南には、かつて大坂三大市(いち)の一つであった天満青物市場の碑が立っている。東部の淀川沿いには、造幣局や泉布観(せんぷかん)(国の重要文化財)、ユースアートギャラリー(旧、桜宮公会堂、正面玄関は国の重要文化財)がある。

[樋口節夫]


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百科事典マイペディア 「天満」の意味・わかりやすい解説

天満【てんま】

大阪市区,曲流する淀川に囲まれた地区。天満堀川(現在は埋め立てられて道路になっている)を境に東天満,西天満に分かれ,北部に大阪環状線天満駅,中部に天満宮天満天神)があり,南部は淀川にかかる天神橋天満橋,難波橋などで中央区に接する。天満駅,天満橋周辺は繁華街を形成。
→関連項目天満青物市場

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天満」の意味・わかりやすい解説

天満
てんま

大阪市北区南東部,大川 (旧淀川,別称天満川) 右岸一帯の地区。地名は天暦3 (949) 年創建と伝えられる天満宮の所在に由来。江戸時代は大坂三郷の1つ,天満組の市街地で,淀川水運を利用して天満青物市場が設けられ,商況活発であった。明治3 (1870) 年河岸の川崎に造幣寮 (現造幣局) が設置され,大阪の近代工業の発祥地となった。周辺には金属,ガラス,繊維などの工業が発達。 JR天満駅と天神橋の間は天神橋筋商店街の繁華街をなす。天満宮の天神祭は京都の祇園祭とともに,夏祭りの代表として有名。

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