安倍興行(読み)あべのおきゆき

朝日日本歴史人物事典 「安倍興行」の解説

安倍興行

生年生没年不詳
平安前期の官人。大納言安仁の子。大内記,勘解由次官,民部少輔などを歴任。貞観13(871)年10月,太皇太后藤原順子の葬儀に当たって服喪期間が問題になったとき,諸儒の説を非現実的であると指摘した興行の意見が採用されており,合理的な考え方の持ち主だったことが知られる。元慶5(881)年1月讃岐介となって赴任,のちに同国守となった菅原道真はこの先任者をしのび,昼夜部内を巡検し,勧農撫育に努めたとしてその治績をたたえている(『菅家文草』)。寛平3(891)年大宰大弐となり,同5年新羅の来襲に際しては大宰帥是忠王とこれを防いだ。貞観14年,全国的に大旱魃に見舞われたとき,終日祈願したところ雨が降り,万人が感嘆したという。道真や島田忠臣らとも親交があり,詩人としても知られる。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安倍興行」の解説

安倍興行 あべの-おきゆき

?-? 平安時代前期の官吏,学者
安倍安仁(やすひと)の子。貞観(じょうがん)13年(871)太皇太后藤原順子の死去の際,服喪の期間について意見をのべた。大宰府推問密告使,勘解由(かげゆ)次官,民部少輔などを歴任後,仁和(にんな)4年文章博士(もんじょうはかせ)。大宰大弐(だいに)となり,寛平(かんぴょう)5年新羅(しらぎ)(朝鮮)の来襲をふせいだ。

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