周防大島(読み)スオウオオシマ

デジタル大辞泉 「周防大島」の意味・読み・例文・類語

すおう‐おおしま〔すはうおほしま〕【周防大島】

山口県南東部、瀬戸内海にある島。屋代島。→大島

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「周防大島」の意味・わかりやすい解説

周防大島[町] (すおうおおしま)

山口県南東部,大島郡の町。屋代島(周防大島)に位置する。2004年10月大島,久賀(くか),橘(たちばな),東和(とうわ)の4町が合体して成立した。人口1万9084(2010)。

周防大島町西部の旧町。大島郡所属。人口7373(2000)。屋代島の西部に位置する。1952年小松町,屋代村が合体,大島町が成立。大畠瀬戸をはさんで本土大畠町(現,柳井市)とを結ぶ大島大橋が1976年に完成し,屋代島の入口になった。干拓地の小松開作には元禄年間(1688-1704)に粟屋帯刀によって開かれた塩田跡があり,塩の積出しなどにより,小松開作は港町として栄えた。島では珍しく沖積地が開け,米作が行われている。ミカン栽培が盛んで,ニシキゴイの養殖,塩田跡でのクルマエビの養殖も行われている。西長寺にある阿弥陀如来は〈日見の大仏〉として知られる。小松には国立大島商船高専がある。

周防大島町北部の旧町。大島郡所属。人口4483(2000)。屋代島北部に位置する。中心集落の久賀は江戸時代,長州藩の大島宰判の勘場(代官所)が置かれた地で,現在も簡易裁判所などがあり,郡の中心地となっている。主産業は耕地面積の大部分を占めるミカン栽培で,山口ミカンとして出荷されている。漁業も盛んでイワシ漁獲が多く,ノリの養殖も行われる。雨量が少ないため,昔から傾斜地の耕地に自然石を利用した灌漑用水路が築かれ,田の中に井戸を掘る田井戸は今でも見られる。近世に医療用として使われた重要民俗文化財の石風呂や久賀歴史民俗資料館がある。

周防大島町中部の旧町で,屋代島の中央部に位置する。大島郡所属。人口5902(2000)。中心地の安下庄(あげのしよう)の地名中世の京都妙法院領の荘園名に由来する。古くから漁業が盛んで,外浦第1の漁港があり,イワシ,タイ,カレイなどを水揚げしている。屋代島のミカン栽培発祥の地で,県立大島柑橘試験場(現,県農林総合技術センター農業技術部の大島柑きつ試験場)があり,耕地のほとんどがミカン畑である。風をテーマにしたスポーツ施設,橘ウインドパークや,嵩(だけ)山ハンググライダー基地がある。旧大島町との境界にある源明山(625m)は幕末の長州征伐の際,幕府軍と長州軍の戦場となり,〈四境の役大島口戦跡の碑〉が建てられている。嵩山は瀬戸内海国立公園の一部で眺望がよい。

周防大島町東部の旧町。大島郡所属。人口5255(2000)。屋代島東端の半島部を占め,北部は内浦,南部は外浦に面する。海上には情島,諸島,片島,沖家室(おきかむろ)島,大水無瀬(おおみなせ)島などの島が点在する。平地が少なく,山地や丘陵地の斜面ではミカン栽培が盛んで,耕地の大部分はミカン園である。イワシ,タイ,カレイなどを中心とした漁業が盛んで,カキの養殖も行われている。戦艦陸奥の遺品が展示されている陸奥記念館がある。伊保田からは柳井市,松山市へ航路が通じ,屋代島東部の交通の要衝となっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の周防大島の言及

【屋代島】より

…周防(すおう)大島または大島ともいう。山口県の南東部に浮かぶ防予諸島の主島で,面積129.7km2,瀬戸内海第3の島。…

※「周防大島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android