学生寮(読み)がくせいりょう

大学事典 「学生寮」の解説

学生寮
がくせいりょう

学生寮とは,大学に学ぶ学生が居住する宿舎のことで,寄宿舎などとも呼ばれる。本来大学との通学距離が長かったり,交通不便で通学困難な学生のために作られた施設だが,今日の大学の前身である旧制高等学校などでは,通学状況とは無関係に寮での生活を義務づけることが多かった。

日本の学生寮の歴史]

日本における学生寮の始まりは,1890年(明治23)に旧制第一高等学校の校長,木下廣次(1851-1910)が学生自治を認めた自治寮(のち東京大学駒場寮)を開設したことに始まる。その後,学生寮は他の旧制高等学校や私立大学にも広まり,運営者そのものも大学当局のみに限らず,地方の篤志家によるものや,仏教キリスト教などの宗教的背景を持った学生寮も設置されるようになった。青年たちの共同体としての学生寮は,久米正雄(1891-1952)の『学生時代』(1918年)から村上春樹(1949-)の『ノルウェイの森』(1987年)に至る青春小説の格好の舞台として,繰り返し文学作品に登場してきた。北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』にも,旧制高等学校の寮の様子がよく描かれている。

 旧制高等学校では,第一高等学校の「嗚呼玉杯に花うけて」(1902年),第三高等学校の「紅もゆる丘の花」(1904年),北海道大学予科の「都ぞ弥生」(1912年)をはじめ,寮歌が次々と作られ,ほとんどが学生寮に寄宿していた旧制高校出身者の寮歌に対する愛着は,「寮歌祭」という形で今日も受け継がれている。寮歌の歌詞は,当時の教育事情を反映してほとんどが文語調である。戦前の学生寮では,新入生に対する通過儀礼的ないじめも一部存在し,また久米正雄の『学生時代』にも出てくるように,寮の規律を破った下級生に対して上級生が鉄拳制裁を加えるなどの弊風もあったが,反面,学部学科を越えた知的交流の場と文化の揺籃場としての役割も果たしていた。

 1960年代になると,東京大学駒場寮をはじめ多くの大学の学生寮は学生運動の拠点となり,自主管理も標榜された。学生寮の自治会の連合組織として「全日本学生寮自治会連合」(全寮連)も結成されたが,2001年(平成13)に駒場寮が閉寮となり,2006年には「自治会連合(学生寮)」も解散,旧制高等学校以来の自由な雰囲気のなかで文化的・政治的実践を行うという従来の学生寮のあり方は終焉を迎えた。

[現状]

今日の学生寮では,旧制高等学校風の知的共同体としての性格が薄れる一方,ホールやラウンジなどの共有スペースの施設充実によって,さまざまな学生の交流の場としての役割も果たしている。また,海外からの研究者のゲストハウスとしての学生寮を筑波大学が設置して話題を呼び,家族で住む部屋がある寮など,今日の学生寮のあり方は多様である。

 今日の学生寮と以前の学生寮の最も大きな相違点は,男子のみの学生寮の激減と運営母体の多様化である。第2次世界大戦前には女子の大学進学者はまれであったが,今日男子を上回る女子の大学進学者の需要に応え,女子のみが入寮できる学生寮も多くつくられている。また,男女両方の学生が入寮する学生寮も多く,男子のみの学生寮の激減は,大学進学者数の男女拮抗という実情を反映している。また,2009年に始まった「グローバル30(日本)」と呼ばれる文部科学省の「国際化拠点整備事業」(大学の国際化のためのネットワーク形成推進事業)により,大量の留学生を受け入れなければならなくなった諸大学では,海外からの留学生が宿泊する大学寮の整備を急いでおり,とりわけ早稲田大学が中野国際コミュニティプラザに建設した「国際学生寮WISH」は,定員872人という巨大な規模の建築になっている。
著者: 松浦寛

参考文献: 週刊朝日編『青春風土記―旧制高校物語1』朝日新聞社,1978.

参考文献: 網代毅『旧制一高と雑誌「世代」の青春』福武書店,1990.

参考文献: 竹内洋『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』中公新書,2003.

参考文献: 山田浩之・葛城浩一編『現代大学生の学習行動』高等教育研究叢書90,広島大学高等教育研究開発センター,2007.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報