天野芳太郎(読み)あまのよしたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「天野芳太郎」の意味・わかりやすい解説

天野芳太郎
あまのよしたろう
(1898―1982)

天野博物館ペルー国リマ市)名誉館長。アンデス古代文化研究家。明治31年7月22日秋田県生まれ。横浜などで実業に従事したのち、1928年(昭和3)南アフリカ経由で南アメリカに渡り、同地に移住を決意、パナマを中心に手広く商業を営んだが、第二次世界大戦とともに交換船で帰国。戦後1952年(昭和27)にペルーに渡航して、漁網、魚粉会社を営むかたわら、同地の古代文化の研究を開始し、首都リマ北方のチャンカイ谷の調査を行いながら、代表的な遺物収集、1964年リマ市ミラフロレスに天野博物館を開設した。同館は、小規模ながら、古代アンデスの生活文化の諸相を、独自の個性的な解釈に従い、土器、染織作品その他多様な遺物によって再現したものであり、世界的な評価を受けている。戦前著書に『南米史話・アラウカノ族の如(ごと)く』ほか多数がある。昭和57年10月14日リマ市で没。

増田義郎

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天野芳太郎」の意味・わかりやすい解説

天野芳太郎
あまのよしたろう

[生]1898.7.22. 秋田
[没]1982.10.14. ペルー,リマ
実業家,考古学者。 1916年,秋田工業高等学校卒業。 28年海外雄飛を志し,パナマに雑貨商天野商会を設立。コスタリカ,ペルー,チリ,アメリカなどで事業を展開する一方,中南米古代文明の発掘物を集めた天野博物館を開設する。しかし,第2次世界大戦が始ると博物館は没収され,本人はアメリカの収容所に抑留されたが,第1回交換船で帰国,外務省嘱託となる。 52年ペルーに渡り,魚粉・魚網の事業で成功する。 64年考古学研究をもとに今度はリマ市に天野博物館を設立,アンデス古代文明を伝える個性的な博物館として世界に知られる。 72年財団法人の認可を受けたのを機に博物館のすべてをペルーに寄付し,余生は研究三昧の生活をおくった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天野芳太郎」の解説

天野芳太郎 あまの-よしたろう

1898-1982 昭和時代の古代文化研究家。
明治31年7月22日生まれ。昭和3年パナマにわたるが,第二次大戦で帰国。27年ペルーに移住して漁網・魚粉会社を経営。一方アンデス古代文化の研究・調査,遺物の収集をおこない,39年リマに天野博物館を開館した。昭和57年10月14日同地で死去。84歳。秋田県出身。秋田工業学校卒。著作に「南米史話・アラウカノ族の如く」など。

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