天草町(読み)あまくさまち

日本歴史地名大系 「天草町」の解説

天草町
あまくさまち

面積:八四・一七平方キロ

しも島の西海岸のほとんどを占め、東は本渡ほんど市、南東は河浦かわうら町、北は苓北れいほく町、南は羊角ようかく湾を隔てて牛深うしぶか市に接する。海岸沿いを南北に国道三八九号が通り、近年本渡櫨宇土はじうと町から福連木ふくれぎ方面へ天草下島横断有料道路が開通した。町域の約八割が山地で、矢筈やはん(三八三メートル)かど(五二五・九メートル)十三野じゆうさんの(四五三・八メートル)が南北に連なり、下津深江しもつふかえ川・高浜たかはま川が天草灘に注ぐ。高浜を中心に陶磁器の原料となる陶石の産出が多く、天草陶石として佐賀県有田ありたなどへ積出されている。

天草町
あまくさちよう

[現在地名]福井市日之出ひので一―三丁目

福井城の東方郭内、鷹匠たかじよう町の南方奥平おくだいら門内南にあり、東西に走る通りに沿った町。寛永一四年(一六三七)島原の乱に派遣された藩士一二名が帰還して賜った屋敷町

当町の東詰に餌刺えさし町がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報