天王寺跡(読み)てんのうじあと

日本歴史地名大系 「天王寺跡」の解説

天王寺跡
てんのうじあと

[現在地名]那覇市首里当蔵町二丁目

蓮小堀りんぐむいを隔てて広徳こうとく寺の東にあった臨済宗の寺。尚家の菩提寺円覚えんかく寺・天界てんかい寺とともに王府の三大寺であった。山号福源山、本尊毘沙門天。開基は京都南禅寺の僧芥隠承琥。首里古地図によると当蔵とーぬくら村と汀志良次ていしらじ村の境を流れる真嘉比まかび川を背にし、堂宇は南面していた。前方に蓮小堀、西隣に仙江せんこう院があった。「琉球国由来記」に第二尚氏王統の始祖尚円王(在位一四七〇―七六年)が「及践祚時」、輔臣に命じて創建したとあり、「球陽」尚円王附条にも成化年間(一四六五―八七)王廟として同王が建立したと記される。寺域は尚円王が王位につく前の邸宅で、尚真王の生誕の地でもあった。開山の趣旨は国王万歳と福徳を祈るためで、そのため山号を福源とし、護国の天王を安置するので天王寺と号したという。本堂である方丈に続いて僧堂・香積(庫院)・大門を建て、方丈には木造の毘沙門天像を安置、また木造の三宝大荒神像が祀られていた。伝承によると方丈の東に時々振動する霊岩があり、その頂上に石堂を建てて三宝大荒神像を安置したところ石の振動が静まったという。しかしその後堂が破損したので方丈に移された。また尚泰久王が景泰七年(一四五六)天龍てんりゆう寺に奉安した鐘は天龍寺の廃寺後は当寺に懸けられた(以上「琉球国由来記」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報