大館村(読み)おおたちむら

日本歴史地名大系 「大館村」の解説

大館村
おおたちむら

[現在地名]尾島町大館

利根川の北岸に位置し、対岸は武蔵榛沢はんざわ中瀬なかぜ(現埼玉県深谷市)。北は安養寺あんようじ村、東は亀岡かめおか村・阿久津あくつ村・宮内みやうち村、西は出塚いでづか村・徳川とくがわ郷。中瀬村との間に渡船がある。村央をはや川が東へ流れる。仁安三年(一一六八)六月二〇日の新田義重置文(長楽寺文書)によれば、義重から庶子らいわう(義季)の母に譲られた空閑の郷々一九ヵ所のうちに「おゝたち」がみえる(→大館郷。寛文郷帳では旗本津軽領、畑方のみで芝野がある。元禄郷帳では旗本真田領。

大館村
おおだてむら

[現在地名]森田村大館

東は床前とこまえ村、北は田圃を隔てて盛照せいしよう(現木造町)、南に狄ヶ館えぞがだて溜池があり、その南方立石たていし(現鰺ヶ沢町)がある。狄ヶ館溜池は岩木山麓の長前ながまえ沢を水源とし、国日記によれば寛文一二年(一六七二)七月堤が築かれ、その後改修工事も加えられ、灌漑排水用として新田開発に大いに役立った。

天和三年(一六八三)広須御新田所図に村名がみえる。大館の地名は津軽地方では各所にみられ、狄ヶ館溜池の西側丘陵にある狄ヶ館に由来すると思われる。享保一二年(一七二七)には木造新田に属し、山通三六ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。元文元年(一七三六)検地帳(森田村誌資料追録)によれば、田畑屋敷合せて六三町三反五畝一四歩(二四歩か)、村高は三二九・一九一石であった。

大館村
おおだてむら

[現在地名]稲川町大館

皆瀬みなせ川の中流右岸に位置し、東と北は川連かわつら村、南は三梨みつなし村、西は川を隔てて飯田いいだ村に接する。東を湯沢町(現湯沢市)から小安おやす(現皆瀬村)を経て仙台藩領へ通じる脇街道が通る。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に大館村四〇八石とある。

享保一四年(一七二九)の雄勝郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に「川連村支郷、無御黒印、正保寛文以来郷村帳出候村ニ付、今度別御黒印被下候」と記す。同八年の雄勝郡郡村本村支村御高共調帳(秋田県庁蔵)には大倉村とあり、高は本田二五一石九斗四升四合、新田一一六石四斗四升二合、合計三六八石三斗八升六合(当高三六〇石五斗二升五合)、家数は五二軒であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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