西津軽郡(読み)にしつがるぐん

日本歴史地名大系 「西津軽郡」の解説

西津軽郡
にしつがるぐん

面積:一〇八五・一三平方キロ
車力しやりき村・稲垣いながき村・木造きづくり町・かしわ村・森田もりた村・鰺ヶ沢あじがさわ町・深浦ふかうら町・岩崎いわさき

津軽平野の中央付近から西、日本海沿いに秋田県境までを含む。東寄りの津軽平野と西寄りの白神しらかみ山地とに二分され、前者はさらに十三じゆうさん(潟)に注ぐ岩木川以西の平野部と西の屏風山びようぶさん砂丘地とに分れ、後者は大部分が山地で、中村なかむら川・赤石あかいし川・追良瀬おいらせ川などすべての川が日本海に注ぐ。

現郡名は明治一一年(一八七八)郡区町村編制法により定められた。

〔原始・古代〕

郡内の遺跡は平安時代までのものを含めて八〇余ヵ所が確認されている。ほとんどが縄文時代の遺跡で、屏風山砂丘の東部末端および岩木山麓に沿って立地し、鰺ヶ沢町から岩崎村にかけては海岸段丘上にある。旧石器時代の遺跡は鰺ヶ沢町の建石たていし町の大曲おおまがり遺跡だけで、掻器が発見された。縄文時代の主要な遺跡を次にあげる。前期は鰺ヶ沢町小屋敷こやしき町の浮橋うきはし貝塚、深浦町深浦の寅平とらひら遺跡、円筒土器を出土する代表的遺跡といわれる森田村床舞とこまい石神いしがみ遺跡がある。中期は深浦町広戸ひろと家野上いえのうえ一本松いつぽんまつ遺跡と岩崎村沢辺さわべ山下やました遺跡がある。晩期の木造町亀ヶ岡かめがおかの亀ヶ岡石器時代遺跡は江戸時代からすでに知られ、出土遺物は国指定重要文化財の遮光器土偶のほか、県重宝が六九点もあり、土器・玉類が多く、ガラス玉もみられる。亀ヶ岡式土器・亀ヶ岡文化の名称すらあり、昭和一九年(一九四四)国指定史跡となる。貝塚は九ヵ所でシジミを主体とする。車力村牛潟うしがた(前期)、牛潟池北岸(中期)富萢とみやち笹平ささだいらの笹平(中期)、富萢字清水しみずの清水(中期)、木造町館岡たておか田小屋野たごやの(国指定史跡、前・中期)大師山たいしやま(時期不明)、森田村床舞の石神(前期)、鰺ヶ沢町小屋敷町の浮橋・浮橋北(前期)の諸貝塚である。十三湖北岸(北津軽郡市浦村)梵珠ぼんじゆ山地の西部末端に発見される貝塚と相まって、現在の十三湖が津軽平野へ大きく広がっていたと推定される。亀ヶ岡石器時代遺跡の沢根さわね地区からは弥生式土器が出土した。

平安時代と推定される遺跡のうち稲垣村吉出よしで松枝まつえだ遺跡と木造町蓮川はすかわ玉田たまた石上神社いしがみじんじや遺跡があり、とくに石上神社遺跡では木製品・土師器などが出土し、井戸跡も検出され、津軽平野の最も古い時期の開拓遺跡と考えられている。鰺ヶ沢町建石町の大館森山おおだてもりやま遺跡からは住居跡と製鉄炉四基も確認され、建石町の大平野おおだいのIII遺跡は製鉄遺構が三基発見された。また森田村大館の八重菊やえぎく遺跡は集落遺跡でもあり、出土遺物から亀ヶ岡石器時代遺跡には中世まで人々が居住していたことも判明した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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