大船越村(読み)おおふなこしむら

日本歴史地名大系 「大船越村」の解説

大船越村
おおふなこしむら

[現在地名]美津島町大船越

現町域の東部南側、内浅海うちあそうの東奥にあり、東の日本海との間に細い地峡をなす。「津島紀略」ではけちより一里九町、府中ふちゆう(現厳原町)より三里三二町とする。東西に往来する対馬船乗りが大船越・小船越こふなこし積荷を降ろし、空船を引いて小丘を越えたことから船越の地名があるという(津島紀事)。弥生時代から古墳時代にわたる遺跡が多く、西の神にしのかみの鼻では弥生時代後期の石棺と小型甕が発見された(昭和四五年調査)中世与良よら郡のうち。正平一二年(一三五七)二月一三日の宗本乗書状(与良郷宗家判物写)に「大ふなこし」とみえ、当地の又三郎知の住吉神社を穢して「てらもといなた」が死んだという。応安二年(一三六九)「大ふなこしのしほや」および「しろいはさま」を違乱する者がいると百姓が訴えているので、早くこれを停止させるよう介知大掾(阿比留氏か)に命じており(同年一〇月五日「宗成重・宗尚廉連署書状」同判物写)、塩焼が行われていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報