大村館跡(読み)おおむらやかたあと

日本歴史地名大系 「大村館跡」の解説

大村館跡
おおむらやかたあと

[現在地名]大村市乾馬場町

本堂ほんどう川の傍らに築かれた中世の館跡。川端かわばた館とも称された。正暦五年(九九四)大村直澄が大村に入ってから永禄七年(一五六四)大村純忠三城さんじよう城を築城するまで居館していたという(大村郷村記)純忠先代の純前のとき当館を構えたとされる(大村記)。天文三年(一五三四、あるいは同二三年とも)九月に焼失、大村家伝来の文書類を失ったが、のち再建された。

大村館跡
おおむらやかたあと

[現在地名]西海町横瀬

戦国期の大村氏の居館の跡。永禄五年(一五六二)横瀬よこせ浦をイエズス会宣教師と貿易湊とすることを協定した大村純忠は、同六年に居館を建立した(フロイス「日本史」)。同年純忠は近接するコスモ・デ・トルレスにより洗礼を受け、大名層では日本で初めてキリシタンとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報