横瀬浦村(読み)よこせうらむら

日本歴史地名大系 「横瀬浦村」の解説

横瀬浦村
よこせうらむら

[現在地名]西海町横瀬郷よこせごう水浦郷みずのうらごう

川内浦かわちうら村の北に位置し、北部の横瀬浦、東部の水の浦に分れる。土井どいノ鼻と丸崎まるさき鼻に挟まれた横瀬の入江は南部を横瀬東、西部を横瀬西と称し、浦口にあるはち(鉢ノ子島・蜂ノ子島とも)航海の目印であったという。浦名は中世よりみえる。江戸時代は大村領の内海うちめに属する。慶長一〇年(一六〇五)の大村領内高目録に横瀬浦村とみえ、高九五石余で、田五町六反余・畠五町、物成五二石余。同一七年の総検地では横瀬浦村として高二〇〇石余となるが(同一八年彼杵郡内検高目録)、朱印高は九五石余とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)。慶長国絵図でも高九五石余。慶長高帳では庶家一門の知行。当時は大村氏が八二石余を知行、元和年間(一六一五―二四)長崎氏一〇〇石余で、慶安年間(一六四八―五二)横瀬純政の知行が上知になったという(大村郷村記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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