デジタル大辞泉
「大手」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
おお‐て おほ‥【大手】
〘名〙
※平家(13C前)九「西は一谷を城
に構へ、東は
生田の森を大手
(オホテ)の
木戸口とぞさだめける」
※平家(13C前)四「大手は
長井の渡り、
搦手(からめで)は故我杉
(こがすぎ)の渡りより寄せ候ひしに」
※われら戦友たち(1973)〈
柴田翔〉終「
うちもそのうちには
ダムの工事位出来る大手になってみせるね」
おお‐で おほ‥【大手】
〘名〙
① 肩から手の指先まで。
※平家(13C前)四「力およばず、大手
(おほで)をひろげて、高倉面
(たかくらおもて)の
小門よりはしりいでんとするところに」
② あたりをはばからない
態度を示すこと。気ままなふるまい。
※
評判記・吉原すずめ(1667)上「
座敷にぎめかしく、大手にしなし」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
大手
おおて
[現在地名]日南市飫肥四―五丁目・同八―九丁目
飫肥城大手門の南に位置する武家屋敷地。広小路(北)・後町馬場(南)などの東西路が通り、上級藩士の屋敷や会所などがあった。西を酒谷川(西川)が流れ、南には町人町の本町、北東には十文字(武家屋敷地)が続いた。なお飫肥城本丸の北に位置する北の丸・西の丸・小城などを含めて大手とよぶ場合もあった(天保一〇年「門川徳助覚書」門川家文書)。会所は大手の北西隅にあり、家老以下出納係まで出所して政務を執っていた。承応元年(一六五二)から万治二年(一六五九)のものと推定される城下絵図(日南市蔵)では、のちに会所が置かれた地は武家屋敷となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報