大庭郡(読み)おおばぐん

日本歴史地名大系 「大庭郡」の解説

大庭郡
おおばぐん

和名抄」東急本(国郡部)に「於保无波」、刊本(国郡部)に「於保無波」の訓がある。近代の読みは「オオバ(内務省地理局編纂「地名索引」)。「和名抄」によれば大庭・美和みわ河内こうち久世くせ田原たわら布勢ふせの六郷を管し、令制の郡の等級規定では下郡となる。美作国の北西部、旭川上流左岸を中心とする郡で、東は苫西とまにし郡・久米くめ郡、南と西は旭川によって真島ましま郡、北は中国山地の分水嶺で伯耆国河村かわむら・久米・日野ひのの三郡と接する。現真庭まにわ郡の久世町・八束やつか村の大半、落合町湯原ゆばら町の東部、川上かわかみ村北部、中和ちゆうか村全域と勝山かつやま町の一部がほぼこれにあたる。旭川流域の真庭盆地とその上流の蒜山ひるぜん盆地に若干の平地があるのみで、山地が大半を占める「山川峻遠」(「続日本紀」神亀五年四月一五日条)の地である。

旧石器時代の遺跡には八束村戸谷とだに遺跡、中和村フコウ遺跡などがある。真島郡を含む蒜山盆地は美作における旧石器文化の最も豊富な地域である。縄文時代には蒜山盆地と真庭盆地に遺跡が散在する。おもなものとして蒜山盆地の中和村別所べつしよ遺跡(早期)、真庭盆地の久世町大旦おおだん遺跡(早期)落合おちあい西原にしばら遺跡(早―晩期)が知られている。弥生時代には両盆地を中心に遺跡数が増大するが、発掘調査例は少ない。前掲大旦遺跡・西原遺跡などが知られる。古墳時代には、落合町西原川東車塚かわひがしくるまづか古墳(全長約六五メートルの前方後円墳)、同町古見の天王塚こみのてんのうづか古墳(全長約二五メートルの前方後円墳)、八束村上長田の四かみながたのよづか古墳群などがある。前二者は旭川左岸の丘陵上にある。四つ塚古墳群は旭川上流の蒜山盆地に築造された中型円墳群で、径十数メートルから三〇メートルの円墳一六基からなる。六世紀前半頃に築かれたものと考えられる。

〔古代〕

「続日本紀」和銅六年(七一三)四月三日条の「割備前国英多、勝田、苫田、久米、大庭、真島六郡、始置美作国」が史料上の初見である。次いで神亀五年(七二八)太政官奏(同書同年四月一五日条)に美作国大庭・真島二郡が山川峻遠にして運輸に困苦するので、庸の品目を米から綿・鉄に変更するとあり、一年間に二郡から貢納される庸米は八六〇余石であったことが知られる。天平神護二年(七六六)一二月二九日美作国人従八位下白猪臣大足が大庭臣を賜姓されており(同書)、二年後の神護景雲二年(七六八)にも美作国大庭郡人外正八位下白猪臣証人等四人に大庭臣が賜姓された(同書同年五月三日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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