大山中村(読み)おおやまなかむら

日本歴史地名大系 「大山中村」の解説

大山中村
おおやまなかむら

[現在地名]神崎町大山

大山下村の北に位置し、猪篠いざさ川上流域の谷間に立地する。多可たか郡に属する。中世大山庄に含まれた。慶長国絵図に中村とみえる。領主の変遷は大山下村と同じ。寛永三年(一六二六)多可郡新検高(松井家文書)に大山中とみえ、高一二〇石余。正保郷帳に大山中村とみえ、田方一〇〇石余・畑方五三石余、「少旱損・草山有・山役有・鉄炮役有・かこ役有」と注記される。元禄郷帳では高二〇九石余。天保郷帳では高二一八石余。年貢生野口いくのくち御蔵(現生野町)納めであった(嘉永五年「御用留」生野書院蔵)。明治四年(一八七一)の播但農民一揆では庄屋役ら二人が贖罪金各五円二五銭の刑に処せられている(「重軽違警罪判決原本」姫路区裁判所検事局蔵)

大山中村
おおやまなかむら

大山下村の北西に位置し、大山川が流れる。中世は大山庄のうち。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「中村」とみえ、高六九〇石余。元和七年(一六二一)名寄帳(中沢家文書)では屋敷持五一・無屋敷六。寛永一九年(一六四二)免状(同文書)では免は三ツ七分。正保郷帳では大山中村として田高七九六石余・畠高九四石余とあるが、この約二〇〇石の増高分は大山新村の高と考えられ、のち当村から分れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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