神崎町(読み)こうざきまち

日本歴史地名大系 「神崎町」の解説

神崎町
こうざきまち

面積:一九・八五平方キロ

佐原市の西に位置し、北は東流する利根川を挟んで茨城県稲敷いなしきあずま村、西から南にかけては下総しもふさ町、南から南東にかけては大栄たいえい町と接する。JR成田線・国道三五六号が通り、対岸の東村へは神崎大橋が架かる。橋の東方に町名の由来となる神崎神社が鎮座している。並木なみきに日本最古の貝塚とされる西の城にしのじよう貝塚があり、竪穴住居跡が検出され注目された。しん地区舟塚原ふなつかはら古墳など古墳が数多く確認されている。「和名抄」に記載される香取郡健田たけだ郷は現武田たけだを遺称地とすると考えられる。

神崎町
かんざきちよう

面積:一〇五・一〇平方キロ

神崎郡の北東端に位置し、いち川支流の越知おち川・猪篠いざさ川沿いの山に抱かれた南北約二〇キロの細長い町。北は朝来あさご生野いくの町、東は多可たか加美かみ町・八千代やちよ町、南は市川いちかわ町、西は大河内おおかわち町と接する。明治二二年(一八八九)の町村制施行により神東じんとう粟賀あわが村・大山おおやま村、多可越知谷おちだに村が成立。同二九年郡制施行により神東郡・神西じんさい郡が合併して神崎郡が成立し、神東郡の二ヵ村は神崎郡に属した。このとき越知谷村も同郡に編入された。

神崎町
かんざきちよう

[現在地名]東区神崎町

粉川こかわ町の南にある両側町で、西は内骨屋町うちほねやまち筋から東は御祓おはらい筋までの竪町。山城伏見ふしみから移った町で、もと南聚楽みなみじゆらく町と称したというが(初発言上候帳面写)、明暦元年(一六五五)水帳奥書写(安政三年「水帳」大阪大学蔵)には中聚楽なかじゆらく町、同年の大坂三郷町絵図には中十楽なかじゆうらく町とあり、古町名は中聚楽町と考えられる。天和元年(一六八一)願いにより神崎町と改称(大坂町之内町名替り候写)、町名は松山まつやま町の朝日あさひ神明宮の「さき」に位置することにちなむ。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数三七・役数三三半役で、うち年寄分一役が無役。

神崎町
かみさきちよう

[現在地名]水戸市備前びぜん町・天王てんのう

備前町の西に南北に通じる町で、南は竈神かまがみ町西端の神崎見かみさきみ付ツケ、北は天王町の南端に続く。町名の由来には二説あり、「水府地理温故録」では「神崎に近きゆへ唱ふる成べし」とし、「水府地名考」では「古老の伝説に炮術の徒もとは鉄炮町にて宅地を賜ひしが後神崎へ移され又此所へ移されしゆへ神崎町の名ありと云へり、然れとも神崎よりの入口なれハ斯く名付しにや知るへからす」とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神崎町」の意味・わかりやすい解説

神崎〔町〕
こうざき

千葉県北部,利根川にのぞむ町。 1890年町制。 1955年米沢村と合体。中心地区の神崎は近世には利根川水運の河港として発達したが,98年の成田線の開通によりその機能を失った。一帯は水田単作地帯で,早場米産地として知られ,また酒の醸造も盛ん。神崎神社境内の大クスノキは天然記念物に指定されている。北部の利根川流域一帯は大利根県立自然公園に属する。面積 19.90km2人口 5816(2020)。

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