大学生活(読み)だいがくせいかつ

大学事典 「大学生活」の解説

大学生活
だいがくせいかつ

学園生活,とりわけ大学における勉学,人的交流,修養,娯楽など学生生活全体にかかわる活動を指す。キャンパスライフ。

[日本]

キャンパスの語は「野原,集会の場」などを意味するラテン語の「campus(ラテン語)」に由来するが,18世紀のアメリカ合衆国で現在のような「大学構内」の意味で用いられるようになったと言われている。一般には大都市郊外の,広大な芝生や樹木に囲まれた校舎,図書館,大学ホール,クラブハウス,運動施設,寄宿舎,大学チャペル等で構成されるような敷地空間が典型的なキャンパスとしてイメージされる。学生と教員で構成される特有の知的学問的共同体空間としてのキャンパスである。

 日本では,近代になって大学が設立された時,その立地場所は旧大名屋敷跡(東京大学,慶應義塾大学)や人口密集地の神田や一橋(日本大学,専修大学,中央大学,一橋大学等)であったために,大学は都市内部に組み込まれ,キャンパス型の大学は発達しなかった。早稲田大学は「都の西北,早稲田の杜に」と歌われ,設立当時としては郊外型であったが,まもなく都市化の波にのみ込まれた。

 キャンパスという言葉とイメージが定着するのは第2次世界大戦後,アメリカ合衆国の影響が強くなってからのことであった。戦後,東京都三鷹市郊外に広大な敷地を取得し,アメリカのカレッジをモデルに設立された国際基督教大学などが日本におけるキャンパス型大学立地の最初の事例であろう。都市型の大学とその周辺に出現した学生街(古本屋,喫茶店,定食屋,雀荘,下宿屋等)での学生生活は独特なものであったが,一方では,学生の間には米国型のキャンパスとそのライフスタイルに対する羨望と憧れの感情も強かった。学生数の急増と都心部での土地価格の高騰を背景に,1970年代後半から80年代にかけて推進された多くの大学の郊外への統合移転,都会の喧騒をはなれ緑に囲まれた大学での学生生活はこうしたイメージを実現しようとするものであった。

 しかしながら,それから20~30年が経過した今日,日本のキャンパスライフのイメージは再び変化しつつある。大学の都心回帰の現象である。一度郊外に移転した大学が,都心部に高層校舎を建て学部を再集約する,サテライト・キャンパスを駅前に設置するなどの動きが目につく。18歳人口層の減少による学生獲得競争の激化,成人・主婦・社会人・留学生など非伝統的学生の受入れの必要などがその背景にある。アルバイトの種類と数は都心に圧倒的に多く,インターンや会社訪問にも有利。ダブル・スクールや習いごとにも便利,大学間交流や刺激も多い。地方出身学生にとって郊外キャンパスは憧れの都会生活を満足させるものではない。最寄り駅からのスクールバス通学もわずらわしい。キャンパス空間での濃密な人間関係はかえって心理的負担,等々。大学を舞台とした若者の生活,意識も変化しつつある。
著者: 斉藤泰雄

[アメリカの学生生活合衆国]

通常合衆国では,学士課程生が中心に展開する正規の学業とは区別され,時にはそれと対抗関係に立つ諸活動の総体を意味する。フラタニティや寮の行事,スポーツ・文化クラブへの参加,対外試合の観戦等は他国の場合と類似するが,しかし大学の立地条件,週単位の厳しい勉学のサイクル,カレッジ在学の意義の歴史的な変遷等,合衆国に顕著な背景も見逃せない。

 アイビー・リーグ校(アメリカ)の半数,コーネルダートマス,プリンストン,イェール(やや都会風)が大都市から隔絶する合衆国では,主要なカレッジや大学の多くは地方に立地し,学士課程生の多数が在学期間の大半をキャンパス内の寮で過ごす。講義・セミナーへの準備の重圧から解放される毎週金曜には多数のパーティーが学内で催され,自由な交遊に開放感を発散する。学年前半の毎土曜は,フットボールの大学対抗戦が自校か対戦相手校のスタジアムで待つ。数万の観衆が戦況の節々で大歓声を町全体に響かせ,勝利すれば学生たちは歓喜の渦に包まれ深夜まで大学周辺を練り歩き,かつての戦勝祝いを彷彿とさせる。年間の対戦成績が好調で新年のローズ・ボウルへの参観戦が実現すれば,学生生活の絶頂を画する思い出となる。ミシガン,ウィスコンシン,UCLA,スタンフォード等の人気が,学術水準に加えて,学生が抱く全米レベルのフットボールのめくるめく体験の共有願望にあることは争えない。

 合衆国の独立以降のカレッジの歴史も,キャンパスライフの重要な背景をなす。もともと宗教上の役割を除けば,給与も社会的な地位も低かったカレッジの教授や学長は,18世紀末からの世俗化の中で最後の権威を喪失した。学生,とくに上流階級の子弟には,既成の学業は軽蔑や反抗の種にこそなれ,献身の対象ではなくなった。学生たちはカレッジ図書館顔負けの書籍を自ら収集し,外部から文人や科学者を講演に招いて文芸活動を独自に組織した。カレッジが専門の教育研究機関として存在意義を回復し始めると,今度は秘密結社的なフラタニティでの交わりと,荒々しいスポーツ対抗試合への献身に,学業成績とは峻別されたカレッジ生活のアイデンティティを求めた。19世紀中葉から20世紀の初頭,アムハーストのエドワード・ヒッチコック学長やプリンストンのウッドロー・ウィルソン学長等が,そうした閉鎖的な結社の「撲滅」を試みて敗北を喫した。民主主義や学問の公明性を根拠とする大学の一元的な支配に,卒業生を含む学生たちは頑強に抵抗したのである。1960年代の学生紛争には,1世紀にわたる学問万能主義への反撃という側面のあったことは否定できないであろう(Horowitz,1987)。今日の合衆国では,多様な人種や文化背景の者たちの交わりの場としてのキャンパスが強調され,何よりも安全な学生生活を営める空間であることが関心事となっている。


著者: 立川明

ヨーロッパ

学生生活とは大学に入学してから卒業するまでの間の,学修を中心とする生活のことである。大学入学は,日本では各大学による大学入学試験に合格しないと入学できないが,ヨーロッパの国々では高校修了試験が同時に大学入学資格試験となっており,これに合格した者はあらためて大学入試を経ることなく大学に入学する権利がある。ただし近年は大学進学率の向上に伴い,医学部などの入学希望者の多い学部では入学待機が生じている。ヨーロッパでは高校修了試験から大学入学までの期間に1年ほどのギャップイヤー(ヨーロッパ)を設けて,その間は海外で旅行や仕事,社会奉仕や企業インターンを行う学生もいる。大学に入学した後は必要な単位を取得し,学士(BA)あるいは修士(MA)といった学位を取得して卒業となる。現在,学士/修士という学位制度は共通の学位制度としてヨーロッパ各国において採用されているが,これは「ヨーロッパ高等教育圏」の構築を目指すボローニャ・プロセスの成果である。ボローニャ・プロセスによる制度改革は学生生活に大きな影響を与えた。

[ドイツの学生生活とその変化] ドイツに大学入学試験はなく,大学入学資格試験(ドイツ)(アビトゥーア(ドイツ))に合格した者は希望する大学に学籍登録を行い入学できる(医学部などを除く)。入学後には新入生のための導入ミーティング(ドイツ)が開催される。これは学生自治会と学科の学生組織によって組織され,大学とその仕組み,履修計画についての情報が提供される。授業が始まると,最初のセメスターでは講堂いっぱいにいた学生が,次のセメスターになると半減していることがある。ドイツの大学では大学初年次から専門科目を学ぶカリキュラムが組まれており,学籍登録後でも自分の関心に合わないと思えば,専門科目を変更するのが一般的である。

 学士課程では一般に,初年次から始まる入門講義やチューターによる学習支援,専門科目の理論やスキルについて学ぶゼミナール,必修インターンシップなどを通じて学び,単位を取得していく。学習するテーマに関連する単位群はモジュール化され,カリキュラムに位置づけられている。必要単位数を修得できれば卒業論文を提出して学位を取得し,卒業する。卒業論文を提出するまでは学業に専念し,卒論提出後から面接などの就職活動を本格化させる学生が増えている。そのため,大学卒業後すぐに仕事に就けない学生も多く,求職者のための社会的セーフティネット(生活保護手当)を利用することもある。授業料に関しては,州立大学がほとんどのドイツでは原則的に無料である。在学中は経済状況に応じた連邦奨学金(ドイツ)(BAföG(ドイツ))の受給が可能であり,奨学金は学生の生活費などに充てられる。このように,大学が構築したカリキュラムに従って単位を取得し,学士(BA)や修士(MA)といった学位を取得して卒業するプロセスは日本と同様である。

 ドイツにはもともと学士/修士という課程も学位も設けられていなかった。代わりに専攻分野の国家資格であるディプローム(ドイツ)やマギスター(ドイツ)が存在した。当時の学生は,資格取得のためにみずから授業計画を立て必要な授業を履修した(「自由な学習」)。通常,主専攻と副専攻を選んで複数の専門を学び,資格試験と論文に合格し,ディプロームやマギスターといった学位を取得して大学を退学することが卒業であった。卒業までに6,7年かかるのが一般的で,10年以上大学に在籍する延長学生もみられた。それは大学の授業料が無料あるいは低額であったことや,同じ資格試験が生涯に2度までしか受験できないため慎重だったことがおもな理由である。

 しかし2000年代に入ると,ボローニャ・プロセスの展開によってドイツの学位制度が変わり,アメリカや日本のような学士/修士へと切り替わっていった。学士は6から8セメスター,修士は2から4セメスターという修学年限がかなり明確化された学位制度が導入された。また成績評価システムも従来の成績証明(ドイツ)(Schein(ドイツ))の発行からヨーロッパ共通の単位互換制度(欧州単位互換制度:ECTS)が取り入れられた。これまでの成績評価は教授の判断が大きく,客観的な評価が難しい絶対評価であったが,ECTSは単位修得に必要な勉学の負荷量に基づいて算出されており,ヨーロッパで比較可能な相対評価に近いものとして用いられている。その結果,現在では標準年限で卒業しない学生の減少や,実質的に在学年数が短くなることによる学習内容の軽減化が指摘されている。その一方で,以前よりも試験数や授業準備に要する時間が増え,時間的余裕がなくなった結果,ドイツ国外に留学する機会が減少したという指摘もあり,大学の学校化や職業準備コース化といった批判もある。学習の自由が特徴であったドイツの学生生活も,国際化や共通化といった大学改革によって大きく変化している。
著者: 山本隆太

[日本]◎武内清編『大学とキャンパスライフ』上智大学,2005.

[アメリカ]◎Horowitz, Helen Lefkowitz, Campus Life, Alfred A. Knopf, 1987.

[ヨーロッパ]◎木戸裕『ドイツ統一・EU統合とグローバリズム―教育の視点からみたその軌跡と課題』東信堂,2012.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報