早稲田(読み)わせだ

精選版 日本国語大辞典 「早稲田」の意味・読み・例文・類語

わせ‐だ【早稲田】

[1] 〘名〙 わせをつくる田。わさだ。《季・秋》
[2]
[一] 東京都新宿区北部の地名。江戸中期以後、町屋として発展。広くは西早稲田・早稲田・早稲田鶴巻・早稲田南・馬場下・戸塚町などの一帯をも含める。早稲田大学が西早稲田にある。

わさ‐だ【早稲田】

〘名〙 わせの稲を作る田。わせだ。わささだ。《季・秋》
万葉(8C後)七・一三五三「石上布留の早田(わさだ)を秀でずとも縄だに延へよ守りつつ居らむ」

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デジタル大辞泉 「早稲田」の意味・読み・例文・類語

わさ‐だ【早稲田】

早稲わせを作る田。わせだ。
石上いそのかみ布留の―をでずとも縄だにへよりつつ居らむ」〈・一三五三〉

わせ‐だ【早稲田】

早稲わせを作る田。早稲の実っている田。わさだ。 秋》

わせだ【早稲田】[地名]

東京都新宿区中北部の地名。早稲田大学がある。

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日本歴史地名大系 「早稲田」の解説

早稲田
わせだ

近世には牛込村西部をさした。一帯はのちに牛込村から分村して牛込早稲田村となり、また町場が形成された地は牛込早稲田町と称した。現在は早稲田大学がある西早稲田(近世には下戸塚村のうち)や周辺の早稲田鶴巻わせだつるまき(早稲田村が近代になって改称)・早稲田町・早稲田南町を含む一帯を総称して一般に早稲田とよんでいる。明治三〇年代までの早稲田一帯は、茗荷畑と早稲田田圃の広がる農村であった。

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改訂新版 世界大百科事典 「早稲田」の意味・わかりやすい解説

早稲田 (わせだ)

東京都新宿区北部の地名。1882年この地に東京専門学校(早稲田大学前身)が設立されて以来,学生街および住宅街としての発展を始めたが,大正期までは東京の郊外で,その名のとおり低地には水田も見られた。現在,早稲田の町名がつくのは,早稲田大学を中心とした西早稲田1~3丁目,印刷・製本関係の中小工場が多い早稲田鶴巻町,その南の早稲田町,夏目漱石が最晩年を過ごした漱石山房跡のある早稲田南町で,これらにはさまれて戸塚町,馬場下町がある。西早稲田3丁目の都立甘泉園公園には,早稲田大学商学部建設によって移転された富士塚高田富士),水稲荷神社などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「早稲田」の意味・わかりやすい解説

早稲田
わせだ

東京都新宿区北端、神田(かんだ)川の南側にある地区。町名に早稲田町、早稲田鶴巻町、早稲田南町、西早稲田がある。低地は水田地域であったことが地名の由来から知れる。1882年(明治15)大隈重信(おおくましげのぶ)によってこの地に創立された早稲田大学(当時は東京専門学校で1902年改称)の名で全国に知られる。都電荒川線早稲田駅付近に甘泉園(かんせんえん)公園、水稲荷(みずいなり)神社、堀部安兵衛(やすべえ)(1670―1703)仇討(あだうち)の碑などがある。東京地下鉄東西線早稲田駅の西方台地上には穴八幡宮(あなはちまんぐう)があり、また南東の早稲田南町の漱石(そうせき)山房跡に猫塚がある。

[沢田 清]


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百科事典マイペディア 「早稲田」の意味・わかりやすい解説

早稲田【わせだ】

東京都新宿区北部の地名。戸塚台地の北斜面に当たり,かつては農村。1882年早稲田大学創設とともに学園町として発展,学生相手の飲食店,下宿,古書店が多い。地下鉄東西線が通じる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「早稲田」の意味・わかりやすい解説

早稲田
わせだ

東京都新宿区北部の地区。明治期までは付近に水田も広がっていた。 1882年東京専門学校 (現早稲田大学 ) が創立されて以降,文教地区として発展。学生相手の飲食店,下宿が多い。都電荒川線の起点,早稲田駅がある。

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