大和(戦艦)(読み)やまと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大和(戦艦)」の意味・わかりやすい解説

大和(戦艦)
やまと

旧日本海軍が保有した世界最大の戦艦。1941年(昭和16)12月16日完成。同型艦4隻の建造が計画されたが、2番艦武蔵(むさし)が竣工(しゅんこう)しただけで、3番艦信濃(しなの)は空母に変更され、4番艦は着手されなかった。この空前の戦艦が建造されるに至った理由は、海軍首脳が戦艦による洋上決戦こそ対米戦勝利の鍵(かぎ)であると確信していたこと、戦艦の建造制限を規定したワシントン、ロンドン両条約失効後の無条約時代に対処する新主力艦が必要とされたこと、さらに、想定敵国であるアメリカはパナマ運河の通航条件に拘束されて主砲40センチ砲以上の戦艦はつくれないと考えられたため、それを凌駕(りょうが)する巨砲搭載艦を建造すれば質の面では対米劣勢を克服できると判断された、などによる。

 大和は呉(くれ)海軍工廠(こうしょう)で建造されたが、その主要目は全長263メートル、最大幅36.9メートル、公試排水量6万1900トン、速力27ノット、航続力(16ノットで)7200海里、主砲46センチ三連装砲塔3基、副砲15.5センチ三連装砲塔4基、水上偵察機および観測機計7機、射出機2基。就役後、連合艦隊旗艦として主要海戦に参加したが海戦の様相は設計思想と大きく変化しており、その巨砲を米戦艦群に向けて雌雄を決する機会はついになかった。

 1945年4月7日、米軍の沖縄上陸を阻止し艦を海岸擱坐(かくざ)させて主砲を陸上砲台となそうとする特別攻撃に向かう途次、延べ1000機に及ぶ米軍機の空襲を受け、魚雷12本、大型爆弾7発、小型爆弾無数の被害を受け、徳之島西方で沈没した。

前田哲男

『吉田満著『戦艦大和ノ最期』(1981・講談社)』

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