大古間村(読み)おおふるまむら

日本歴史地名大系 「大古間村」の解説

大古間村
おおふるまむら

[現在地名]信濃町大字古間

現信濃町の中央部南寄り、東は柴津しばつ村、南は小古間村、西は原新田はらしんでん村、北及び北西は鳥居とりい川で柏原かしわばら村と接する。村の東南から南に丘陵が連なり、その間を鳥居川が開析して南流し、沿岸に平地が開ける。村の東南から西北北国脇往還が縦貫し、大古間宿を中心に集落を形成する。北の町きたのまち地籍で北国脇往還から分岐した東道が川東かわひがし飯山いいやま道に通じ、南の坂下で分岐した西道が落合新田おちあいしんでん村を経て坂中さかなか道に通ずる。

天正一〇年(一五八二)武田氏が滅び、北信地方を手中におさめた上杉景勝が、同年七月一三日、長沼城主島津忠直に城の普請伝馬等のことを命ずるとともに、その地方知行を定めた中に「三百貫文 同領(島津領)古 間」とみえるのが初見で、島津氏の領地として安堵している(覚上公御代御書集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報