堂跡(読み)うばどうあと

日本歴史地名大系 「堂跡」の解説

堂跡
うばどうあと

[現在地名]立山芦峅寺

堂川の左岸閻魔えんま堂からぬの橋を越えた所に位置。祖母堂・姥堂などとも記された。明治初年まで中宮ちゆうぐう寺の中核的な堂として存立していたが、明治初年の神仏分離によって破却され、大部分が田畑に、また北側は芦峅寺あしくらじの共同墓地とされた。昭和四五年(一九七〇)に立山風土記の丘の建設にあたって堂の基壇が発掘された。往時堂の建築様式は入母屋造・唐様であった。また加越能寺社方御普請請所付(石川県金沢市立図書館蔵清水文庫)には、加賀藩御用大工山上善右衛門の手による堂の設計図が残り、「柿葺行六間 梁五間 奥の間弐間通し、四各間下表内弐間にて半ゆるぎ」とある。堂内には主尊三体の尊像が須弥壇上の厨子に祀られ、その両脇壇上には江戸時代の国数にちなみ六六体の尊像が安置されていたという。その姿は片膝を立てた老婆の坐像(木像)で、南北朝時代から江戸時代にかけて作られた。現存する尊像(閻魔堂安置)のうち、一体の底部に永和元年(一三七五)一二月付で「しきふ阿闍梨」の墨書銘がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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