日本大百科全書(ニッポニカ) 「厨子」の意味・わかりやすい解説
厨子
ずし
室内に置き、書物、文房具、遊戯具、化粧品などの身の回り品を収納し、また室内装飾をも果たす調度品である。起源をたどると、中国から入ったもので、厨房(ちゅうぼう)(台所)で使用する調度品の容器をいった。この系統のものは、正倉院の棚厨子が奈良時代の遺例で、後世の本棚のように天板と棚を2段渡しただけの簡単な形のもので、このような形状の棚は、『信貴山(しぎさん)縁起』『粉河寺(こかわでら)縁起』『石山寺縁起』『慕帰絵詞(ぼきえことば)』の中世絵巻物の台所の場面に登場して、食物や食器などをのせている。
室内装飾を兼ねて調度として、身の回りの品々を整理し収納するのに、天武(てんむ)天皇より聖武(しょうむ)天皇に至る代々の天皇が伝えた愛好品で、孝謙(こうけん)天皇が大仏に献じた正倉院の赤漆文欟木厨子(せきしつのぶんかんぼくのずし)が、代表的な作例としてあげられる。木目の鮮やかなケヤキの板に朱を彩しその上に透明な漆を塗った今日の春慶塗の技法を施し、両開き扉に鏁子(さし)をつけ、下部に牙象(げしょう)の基台を据えるが、内部は2段の棚を設けている。この内容品の詳細は、『東大寺献物帳』によると、『孝経(こうきょう)』『楽毅(がくき)論』『杜家立成(とかりっせい)』などの書物をはじめとして、刀子(とうす)、尺、笏(しゃく)、尺八、犀角盃(さいかくはい)、双六(すごろく)などの日常生活で使用する品々を収納している。正倉院には、このほか柿(かき)厨子、黒柿両面厨子が伝来し、両開き扉付き、牙象の基台といった基本的な構造からなる。
平安時代には、棚厨子が一般庶民間で使用されたことは、それより後世の絵巻物、『絵師草紙』、『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』の居間の場面に登場していることからもわかるが、前者の場合、3階で、上段に巻子(かんす)・巻紙・書状・刷毛(はけ)、中段に黒塗りの箱・白木の箱、下段に木鉢・曲物(まげもの)・水瓶(みずがめ)を置く。後者は2階で上段に巻子・冊子・黒箱、下段に蒔絵(まきえ)の手箱2合が置かれ、それぞれの実生活で使用されるものが配置され、実用的な白木造りからなっている。これに対して、平安貴族の使用した調度の実際を知る『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』には、棚厨子を蒔絵の加飾により美化した二階棚が載る。上段に錦(にしき)の敷物を敷き、その上に火取り・泔坏(ゆするつき)、下段に唾壺(だこ)・打乱(うちみだり)箱を配置している。それに従来の厨子に棚を加えた二階厨子が出現したが、下層の部分が両開き扉付きの厨子で、上層には棚板2段、錦の敷物を敷き、周りに組緒(くみお)を通して、四隅に総角(あげまき)に結び垂飾する。これは2基1組からなり、収納品も一対である。上段に櫛(くし)箱と香壺(こうご)箱、下段に打乱箱を配置する。このように平安貴族の使用する品物が納められるばかりでなく、寝殿造の母屋(おもや)の室内を装飾する調度の役割をもつようになった。
[郷家忠臣]
仏具
仏像、経巻、舎利、仏画などを納める仏具。豆子とも書き、あるいは仏龕(ぶつがん)ともよばれる。両扉をつけ、漆や箔(はく)などを塗り装飾したもの。厨房(ちゅうぼう)で使用する調度品が転じて仏教用具を納める両扉の容器に用いられるようになったといわれる。多くは木製で、形は屋形や筒形などがある。その形式はインドの石窟(せっくつ)寺院の龕(がん)に基づくものといわれるが、中国の『広弘明集(こうぐみょうしゅう)』第16には「或(あるい)は十尊五聖は共に一厨に処し、或は大士如来(にょらい)は倶(とも)に一櫃(ひつ)に蔵す」とあるから、すでに梁(りょう)代には尊像を厨子や櫃(ひつ)に安置する制があったことが知られる。
日本の上代の厨子を代表するものとしては、法隆寺の玉虫厨子(たまむしのずし)(屋根を錣葺(しころぶ)きにつくった飛鳥(あすか)様式のもの、国宝)と、橘(たちばな)夫人念持仏厨子(異形式の箱屋形屋根をつけた白鳳(はくほう)時代のもの、国宝)があげられ、ともに宣字形の須弥座(しゅみざ)を備えている。また厨子の形式には宮殿形厨子(殿堂形厨子、和様厨子とも)、春日(かすが)形厨子、禅宗様(唐様)厨子、折衷様厨子(和様と禅宗様の混合したもの)、箱形厨子、木瓜(もっこう)形厨子、携行用厨子(懐中用厨子)、棚厨子などがあり、多種多様である。
[佐々木章格]