立山町(読み)たてやままち

日本歴史地名大系 「立山町」の解説

立山町
たてやままち

面積:三〇八・七九平方キロ

郡の南部に位置し、北は宇奈月うなづき町・上市かみいち町・舟橋ふなはし村、西は常願寺川を境として富山市、南は大山おおやま町、東は後立山連峰で長野県大町市に接する。大汝おおなんじ山をはじめ山・べつ山・浄土じようど山などの立山連峰を町域に含み、後立山連峰とともに中部山岳国立公園に指定されている。立山連峰を源流域とする川・川を集めた常願寺川は、さらに称名しようみよう川を合流して山麓地帯を西流し、平野部に出た所で北流となる。これと並行して東側を白岩しらいわ川が流れ、いずみ地内で中央部を流れる栃津とちづ川を合流する。平野部西側は常願寺川扇状地が広がり、その東側に河岸段丘、北部に三角洲があり、地形は変化に富む。町の総面積の七八パーセントを東部山岳地帯の森林が占め、耕地は一三パーセントにすぎない。町の中心部を主要地方道富山立山公園線が走り、これに富山中部地区広域営農団地農道が交差する。北部を北陸自動車道が横切り、若林わかばやし沢端さわはた地区に立山インターチェンジがある。鉄道には富山地方鉄道立山線がある。

常願寺川右岸の段丘上には多くの遺跡が分布している。白岩藪しらいわやぶうえ遺跡は旧石器時代前半の北陸最古の遺跡の一つで、ナイフ形石器や石斧などが出土した。吉峰よしみね遺跡は縄文時代前期から中期にかけての大集落跡、二ッ塚ふたつづか遺跡は低位段丘にある中期の集落跡で、石棒が立てられた状態で発掘された竪穴住居跡はよく知られている。稚児塚ちごづか古墳は平野部に造られた直径約五〇メートルの円墳で、周溝がめぐる。つじ遺跡は常願寺川扇状地の扇端部に位置し、弥生時代から中世までの遺跡である。また丘陵部には上末うわずえ古窯跡群という一〇世紀代の須恵器窯跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「立山町」の意味・わかりやすい解説

立山〔町〕
たてやま

富山県東部,常願寺川右岸沿いに東西に延びる町。西は扇状地から東は立山の主峰を越えて長野県境に達する。 1954年雄山 (おやま) 町と利田 (りた) ,上段 (うわだん) ,東谷 (ひがしだに) ,釜ヶ淵 (かまがぶち) ,立山の5村が合体して成立。中心地区の五百石は米の集散地,市場町として発達。製紙,機業などの工場が立地している。常願寺川の谷口にある岩峅寺 (いわくらじ) に雄山神社の前立社壇 (まえたてしゃだん) ,やや上流部の芦峅寺 (あしくらじ) に祈願殿,宿坊があって,昔から立山信仰の基地として栄えた。東半分は中部山岳国立公園に属する。立山三山,黒部湖黒部峡谷があり,立山黒部アルペンルートが町を縦貫している。立山頂上付近の山崎カールは天然記念物。面積 307.29km2(境界未定)。人口 2万4792(2020)。

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