堀畑村(読み)ほりはたむら

日本歴史地名大系 「堀畑村」の解説

堀畑村
ほりはたむら

[現在地名]養父町堀畑

大塚おおつか村の南西円山まるやま川の左岸に位置し、南は朝来あさご高田たかた(現和田山町)、北は養父市場やぶいちば村。集落中核部の字は堀といい、これが村名の由来と思われる。近世中期以降の山陰道高田村から円山川左岸沿いに北上、当地で西に折れ、谷間地はさまじ越で上野うえの村に至った。また当地で山陰道から分岐して円山川沿いに北上を続け、養父市場村、上小田かみおだ(現八鹿町)を経て豊岡に向かう豊岡街道が通じていた。同街道の当村・上小田村間は谷間地越の道が開かれるまで山陰道の本道であったと思われる(歴史の道調査報告書)。江戸時代の初めは幕府領。寛文八年(一六六八)豊岡藩領となる。享保一一年(一七二六)同藩主京極高寛が没し、高寛に世嗣がなく同家が絶家となった際に幕府領に復し(豊岡藩はのち高寛の弟京極高永が再興)、同領で幕末に至った(「京極家譜」東京大学史料編纂所蔵、「豊岡藩旧京極領三万五千石村々高付」岡本家文書、「但馬国高附郡訳手控」岡田家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android