国分青厓(読み)こくぶせいがい

改訂新版 世界大百科事典 「国分青厓」の意味・わかりやすい解説

国分青厓 (こくぶせいがい)
生没年:1857-1944(安政4-昭和19)

漢詩人。仙台生れ。名は高胤,字は子美,通称豁(とおる),青厓は号。藩学養賢堂に学んだのち上京し,1889年新聞《日本》の創刊に加わり時事を風刺する〈評林〉詩欄を担当して注目を集め,同紙廃刊後は《日本及日本人》に拠ってこの欄を続けた。90年9月,本田種竹らと森槐南盟主とする詩社星社を復興し漢詩人としての地位を確立したが,種竹・槐南らの没後は大正・昭和にかけての漢詩壇の中心となった。《大正詩文》《斯文》に寄稿したほか《昭和詩文》を主宰し,1937年には芸術院会員に選ばれた。詩は唐詩を重んじ幕末以来の明清詩愛好に一転機をもたらした。著に評林第1集《詩董狐》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国分青厓」の解説

国分青厓 こくぶ-せいがい

1857-1944 明治-昭和時代前期の漢詩人。
安政4年5月5日生まれ。明治22年日本新聞社にはいって「評林」欄を担当,漢詩で時局を風刺し,評判となる。23年森槐南(かいなん)らと星社を結成。大正12年大東文化学院教授。昭和12年芸術院会員。昭和19年3月5日死去。88歳。陸奥(むつ)仙台出身。司法省法学校中退。名は高胤(たかたね)。字(あざな)は子美(しび)。別号に太白山人など。著作に「詩董狐(しとうこ)」。

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世界大百科事典(旧版)内の国分青厓の言及

【漢詩文】より

…また1894年に夭折した中野逍遥も強烈な恋愛感情を漢詩に託した詩人として注目される。森春濤・槐南らの清詩派に対抗し,漢・魏の古体詩を主唱して現れたのは副島種臣(そえじまたねおみ)(蒼海)であり,国分青厓,桂湖村,石田東陵らはこれに和してしだいに勢力を拡大していった。詩人たちの集りである吟社には下谷吟社(大沼枕山),茉莉吟社(まつりぎんしや)(森春濤),麴坊(こうじまち)吟社(岡本黄石)などがあり,それぞれに雑誌を発行するなどして世の好みに投じた。…

※「国分青厓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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