因幡国府跡(読み)いなばこくふあと

日本歴史地名大系 「因幡国府跡」の解説

因幡国府跡
いなばこくふあと

[現在地名]国府町中郷・庁など

ふくろ川の左岸に開けた平野にある。古代の法美ほうみ稲羽いなば(和名抄)の地で、北方の現福部ふくべ細川ほそがわに古代山陰道の「佐尉さい」駅(「延喜式」兵部省)があったとする説がある。国府域は南北に走る中道(現在の中郷と三代寺を結ぶ道にほぼ一致)を軸に東西四町の方八町(方六町とする説もある)の領域と推定され、中央北西寄りに国庁跡(国指定史跡)が検出されている。国府域の南西国分寺が、南端東寄りに国分尼寺が配されていたと推定され、中道の北方延長線上には宇倍うべ神社がある。また遺構は確認されていないが国庁付近には惣社もあった。法美郡家が国府のすぐ南、法花寺ほつけじの辺りにあったとする説があるが、駅路に沿った位置にあったとする説もあり未詳

国府の設置時期は不明だが、「続日本紀」文武天皇四年(七〇〇)八月二二日条に「因幡守勤大壱船連秦勝」が善政を賞され三〇戸を封されたとある。天平宝字二年(七五八)には従五位上大伴宿禰家持が因幡守に補されており(同書)、「万葉集」巻二〇には翌年元旦、国庁で催された新年の賀宴でよまれたといわれる家持の「あたらしきとしのはじめのはつはるのけふふるゆきのいやしけよごと」の歌が収められている。「続日本後紀」嘉祥元年(八四八)七月二七日条によれば国府の西で火災が発生、「府舎」も焼失しそうになったが、国司が祈請したところ速やかに「風軽火滅」したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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