四町目(読み)よんちようめ

日本歴史地名大系 「四町目」の解説

四町目
よんちようめ

[現在地名]岐阜市加納本町かのうほんまち

中山道に沿い東西に延びる両側町。加納二六町の一。東は三町目、西は五町目に至る。慶長五年(一六〇〇)土豪の三宅又左衛門が当地に居住し、以後町並が形成されたという。子孫の左兵衛は問屋役を勤め、また元禄年間(一六八八―一七〇四)には左兵衛さひようえ新田を開発した。同家にちなみ又左衛門またざえもん町・左兵衛町ともよばれた。なお同家の屋号は岩井屋であった。

四町目
よんちようめ

上京区東堀川通出水下ル

町の北寄りを東西に出水でみず(旧近衛大路)が通り、西は東堀川ひがしほりかわ通。平安京の条坊では左京一条二坊三保一一町の中央以西の地で、平安中期以降は近衛このえ堀川小路南の地。平安前期は官衙町の「左兵衛町」にあたる(拾芥抄)。三町目と同じく、中世から材木商が軒を並べていた。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図は町の東側を「近横町」、西側を「堀川四町目」、寛永以後万治以前京都全図は東側を「近衛横町」、西側を「堀川四町目」、寛文五年(一六六五)刊「京雀」は東側を「このゑ殿よこ町」、西側を「堀川ざいもく町」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」では東側を「近衛横町」、西側を「四町目」とし、明治二年(一八六九)合併して現町域が成立した(坊目誌)

四町目
よんちようめ

上京区西堀川通出水下ル

堀川ほりかわ通西側の町。現在は道の拡幅で町の東部は堀川通(旧堀川小路)に含まれた。北は出水でみず(旧近衛大路)。平安京の条坊では左京一条二坊二保六町の東の地で、官衙町の一つ「内蔵寮(「拾芥抄」では内蔵町)の東の跡地(拾芥抄)。平安中期以降は近衛大路このえおおじ堀川小路南の地。

四町目
よんちようめ

上京区日暮通丸太町下ル

南北に通る智恵光院ちえこういん通に西面する片側町。町の南は二条城(現中京区)。平安京大内裏「大炊寮」の跡地(「拾芥抄」の宮城指図)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「日くらし四丁目」とみえ、寛永一八年以前平安城町並図では「ひくらし丁」、天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成には「四丁メ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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