四木三草(読み)しぼくさんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「四木三草」の意味・わかりやすい解説

四木三草
しぼくさんそう

桑(くわ)、楮(こうぞ)、茶、漆(うるし)を四木、藍(あい)、紅花(べにばな)、麻(あさ)を三草という。いずれも近世諸藩栽培を奨励し、その多くは藩の専売制もとに藩財政を支える重要な財源とされた。とくに米作に不適な山間部や洪水の常襲地帯などでは、近世初頭から四木三草の栽培が積極的に奨励された。

 桑は蚕(かいこ)の餌(えさ)とするもので、養蚕に関連して生糸・絹織物の発達を促し、楮は和紙の原料で有利な和紙生産が期待できる。漆も需要が多く、また漆器生産地帯を形成し、いずれも藩専売制とすることによって、貴重な財源を確保できることから、積極的な保護奨励策がとられたのも当然であろう。出羽の最上(もがみ)川流域の紅花と阿波(あわ)の藍は、ともに重要な染料として全国市場に進出したが、紅花は顔料(がんりょう)としても販売され、山形藩や天童(てんどう)藩にとってたいせつな財源となった産業であり、阿波の藍も17世紀中ごろまでは摂津など畿内(きない)のものより品質が劣っていたが、徳島藩の保護と奨励もあって、栽培や加工技術に改良を重ね、優れた品質が評価されるようになると、たちまち他国藍を退けて、全国の藍市場で独占的な販路をもつようになった。麻の場合は下野(しもつけ)の鹿沼(かぬま)が大産地とされ、その強靭(きょうじん)な繊維のために漁網、畳糸、馬具などに使用され、また蚊帳地(かやじ)となり、とくに武士の必需品としての裃(かみしも)の生地ともなったので重要な産業になっていた。主要産地は広島、島根、福井、新潟、秋田などであった。また麻苧(あさお)は米沢(よねざわ)、人吉(ひとよし)、広島の諸藩で専売制となっていた。茶は人吉、篠山(ささやま)、関宿(せきやど)、膳所(ぜぜ)などの諸藩が専売制としていたように、諸藩それぞれに四木三草の栽培と加工、また専売制による財源の確保に積極的に取り組んでいたことがわかる。

[三好昭一郎]

『吉永昭著『近世の専売制度』(1973・吉川弘文館)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四木三草」の意味・わかりやすい解説

四木三草
しぼくさんそう

江戸時代,特有農作物として重視された茶,桑,こうぞ,漆の4木,紅花,麻,藍の3草の呼称。ただし3草については当時の地方書 (じかたしょ) も一定せず,麻,木綿,藍,あるいは麻,木綿,荏 (え) としたり,また地域によっては菜種,たばこ,あかね,いぐさなどのうちから数えることもある。古代から栽培されていたが,諸藩の特産物奨励策により各地で特産物化し,多くは藩営専売のもとに統制されていた。著名なものとしては阿波の藍,出羽最上の紅花,山城,駿河の茶,会津の漆,備前,備後のいぐさ,河内の木綿など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「四木三草」の解説

四木三草
しぼくさんそう

近世に商品生産の発展した工芸作物を代表するもので,四木は茶・桑・漆・楮(こうぞ),三草は麻・紅花・藍。米麦などの穀物とは異なって付加価値が高く,植付けから収穫にいたる栽培過程と,製品に仕上げるまでの加工過程をもつのが特徴。幕府は田畑勝手作の禁令で四木三草の作付を制限したが,中期以降は各地の特産物として栽培された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「四木三草」の解説

四木三草
しぼくさんそう

江戸時代の商品作物で,民間必需のもの
四木とは桑・漆 (うるし) ・茶・楮 (こうぞ) ,三草は麻・藍・紅花 (べにばな) 。各藩で栽培を奨励し,藩営専売のもとに統制されることが多かった。漆は会津,茶は山城,藍は阿波,紅花は出羽・陸奥が有名。

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