唐沢山城跡(読み)からさわさんじようあと

日本歴史地名大系 「唐沢山城跡」の解説

唐沢山城跡
からさわさんじようあと

[現在地名]佐野市富士町、安蘇郡田沼町栃本

唐沢山(二四五メートル)の山頂を中心に、東西に延びる尾根山腹に郭塁を構えた城郭。佐野城・根小屋ねごや城・栃本とちもと城・うしが城ともよばれる。城の範囲は東西約七〇〇メートル・南北約二五〇メートル。本丸(約四〇×五〇メートル)は山頂の最高所を削平し、ほぼ方形状の土塁で囲まれている。藤原秀郷が天慶三年(九四〇)から同五年にかけて築城したと伝える。平安後期に廃城となったが、鎌倉初期に「尊卑分脈」ほかにみえる佐野庄司成俊が再興したという。成俊の甥として家督を相続した足利有綱の子基綱は佐野氏を称し(下野国誌)、当城は代々佐野氏の居城となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の唐沢山城跡の言及

【田沼[町]】より

…山間では用材生産のほか,シイタケ,コンニャクの栽培が行われ,製材工場が多い。県立自然公園に指定されている南部の唐沢山には,藤原秀郷の居城と伝え中世に佐野氏が拠った唐沢山城跡がある。東武佐野線,国道293号線が通じる。…

※「唐沢山城跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」