吉野屋慶寿(読み)よしのや・けいじゅ

朝日日本歴史人物事典 「吉野屋慶寿」の解説

吉野屋慶寿

没年元禄15(1702)
生年:生年不詳
江戸時代,富山藩に仕えた御用商人。名は吉右衛門,隠居後は慶寿先祖吉野に閑居した由緒で吉野屋と称した。天和1(1681)年富山2代藩主前田正甫が越後国松平光長の改易により高田城受け取りを命じられたとき1万3000両,翌年江戸富山藩邸の類焼に際し3万6000両を調達するなど金策に当たった。その功により屋敷地拝領,町諸役御免,町人惣禄の称号を受け,城内の杖使用を許され側近となる。その後富山藩の流通機構整備の政策による新規商人登用の中で排除され,元文ごろ完全に没落し,政商の運命を示している。<参考文献>「有阪吉野屋慶寿日記」(前田文書),『富山市史』1巻

(高瀬保)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉野屋慶寿」の解説

吉野屋慶寿 よしのや-けいじゅ

?-1702 江戸時代前期の商人。
富山藩御用をつとめて巨額の献金をし,屋敷地をあたえられた。藩主前田正甫(まさとし)に近侍し,おおくの特権をえて,若狭(わかさ)の打它(うちだ)宗貞,越前(えちぜん)の金屋兵四郎とともに北国の三大長者といわれた。元禄(げんろく)15年4月28日死去。姓は有坂通称は吉右衛門。

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