吉野城跡(読み)よしのじようあと

日本歴史地名大系 「吉野城跡」の解説

吉野城跡
よしのじようあと

[現在地名]香北町吉野

吉野集落の北西物部ものべ川縁の段丘上にあり、韮生にろう郷の長宗我部氏代官野中氏の城跡。城詰は北と西を急崖にゆだね、東と南に堀切を設けていた。二ノ塀・三ノ塀などを複雑に配置した土居城で、現在水田化してはいるが、十分原形をうかがうことができ、傍ら八幡宮小祠と記念碑が建つ。天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には二ノ塀三二代二歩、吉ノ詰城ヤシキ二五代一歩、三ノ段道ノ西七代三歩、ソイ殿ノ段二六代、柳ヵ沢西ノ小段ともに一反四〇代などの記載が並び、以上の五筆の計は三反三一代にのぼる。

吉野城跡
よしのじようあと

[現在地名]海南町吉野

標高約一〇〇メートルの山尾根突起に築かれた山城の跡。城山は山頂部に愛宕神社が祀られることから愛宕山ともいわれる。南側の斜面は急傾斜で、東西の尾根続きには堀切を設け、西側の堀切の内側に土塁がみられる。南方約三〇〇メートルの平野部に城主平時の居館跡と伝えるさと城跡があり、かつては井戸二ヵ所が残っていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報