吉岡隆徳(読み)ヨシオカタカヨシ

デジタル大辞泉 「吉岡隆徳」の意味・読み・例文・類語

よしおか‐たかよし〔よしをか‐〕【吉岡隆徳】

[1909~1984]短距離走者。島根の生まれ。昭和7年(1932)ロサンゼルスオリンピックの100メートル競走で6位に入賞、日本初の短距離種目入賞で、暁の超特急とよばれた。

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精選版 日本国語大辞典 「吉岡隆徳」の意味・読み・例文・類語

よしおか‐たかのり【吉岡隆徳】

短距離走者。島根県出身。昭和七年(一九三二)ロサンゼルスオリンピックの一〇〇メートル競走で六位に入賞、日本初の短距離種目入賞者。暁の超特急とよばれた。明治四二~昭和五九年(一九〇九‐八四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉岡隆徳」の意味・わかりやすい解説

吉岡隆徳
よしおかたかのり
(1909―1984)

「暁の超特急」とよばれた名ランナー。島根県簸川(ひかわ)郡西浜村大池(現、出雲(いずも)市)生まれ。神職の家の10番目の子供で、小学校卒業後、吉岡家の養子となった。島根師範から東京高等師範学校を卒業。1932年(昭和7)のオリンピック・ロサンゼルス大会で、陸上100メートルで6位に入賞した。160センチメートルそこそこの日本人が、大男たちを相手に60メートルまでトップを奪った。日の丸鉢巻をしての力走で、優勝したエディー・トーラン(アメリカ)が「深夜の超特急」と称されたのに対し、「暁の超特急」とよばれた。スタートセンスが抜群だったことにもよる。引退後のまな弟子には飯島秀雄依田郁子(よだいくこ)らがいるが、1935年にマークした10秒3の日本記録(世界タイ記録)は29年後に飯島によって破られた。1978年(昭和53)紫綬(しじゅ)褒章受章。

[石井恒男]

『『わが人生一直線』(1979・日本経済新聞社)』『辺見じゅん著『暁の超特急――吉岡隆徳ものがたり』(2001・松江今井書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「吉岡隆徳」の意味・わかりやすい解説

吉岡隆徳 (よしおかたかよし)
生没年:1909-84(明治42-昭和59)

陸上競技選手。島根県出身。島根師範学校時代に谷三三五の指導を受けて日本を代表するスプリンターとなる。1936年東京高等師範学校研究科を卒業。在学中から国際舞台で活躍,32年のロサンゼルス・オリンピック大会では100m決勝に進出,日本選手初の6位入賞を果たした。35年に出した100m10秒3の記録は64年に飯島秀雄が破るまで日本記録であった。スタートダッシュが抜群のところから〈暁の超特急〉と呼ばれた。その後,学習院,広島高師,東京女子体育大で教職についた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉岡隆徳」の意味・わかりやすい解説

吉岡隆徳
よしおかたかよし

[生]1909.6.20. 島根
[没]1984.5.5. 東京
陸上競技選手。 1934年東京高等師範学校体育科卒業。東京女子体育大学教授。少年時代から短距離走者としての素質を発揮し,東京高師入学後は国際的に活躍。 1932年ロサンゼルス・オリンピック競技大会に参加し,100mで6位に入賞。 1935年には 100mで 10秒3の世界タイ記録を出し,「暁の超特急」と呼ばれた。第2次世界大戦後は日本陸上競技連盟のコーチとして活躍,飯島秀雄,依田郁子らのオリンピック選手を育てた。主著『短距離競走』 (1938) ,『スランプ』 (1971) など。

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百科事典マイペディア 「吉岡隆徳」の意味・わかりやすい解説

吉岡隆徳【よしおかたかよし】

陸上競技選手。島根県生れ。東京師範学校卒。東京女子体育大教授。1932年のロサンゼルスオリンピック100mで日本人初の6位入賞。1935年には100mに10秒3の日本最高記録を出し,1964年まで破られなかった。スタートのスピードが群を抜き,〈暁の超特急〉と呼ばれた。大学・企業の陸上部監督も務め,多くの後進を指導した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉岡隆徳」の解説

吉岡隆徳 よしおか-たかよし

1909-1984 昭和時代の陸上競技選手,指導者。
明治42年6月20日生まれ。スタートダッシュが抜群で「暁の超特急」と称され,昭和7年ロス五輪の100m走で日本人初の6位入賞。10年10秒3の世界タイ記録をマーク。39年東京五輪では依田郁子(よだ-いくこ),飯島秀雄らを指導した。東京女子体育大教授。昭和59年5月5日死去。74歳。島根県出身。東京高師卒。

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