古鍛冶町(読み)ふるかじまち

日本歴史地名大系 「古鍛冶町」の解説

古鍛冶町
ふるかじまち

[現在地名]富山市古鍛冶町・上本町かみほんまち南田町みなみだまち一丁目・五番町ごばんまち南新町みなみしんまち

西三番にしさんばん町・東三番町の南に並行し、東西に延びる両側町。東は五番町に続き、西は太田口おおたぐち町に直交し、山王さんのう町に至る。本町のうち。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図みえ前田利次による町割当初からの町。江戸時代中期以降東西二町に分けられていたが、丁目は両町で通算されていた。安永八年(一七七九)の東西本家数六四・貸家数一三七で、四丁目まであった(「町方旧記抜書」前田家文書)。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理には西東両古鍛冶町とみえ、竈数一七九、男三四九・女三二七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報