反宗教改革
はんしゅうきょうかいかく
Counterreformation 英語
Gegenreformation ドイツ語
Contreréforme フランス語
カトリック教会の側からの宗教改革で、第一には新興プロテスタント勢力に対抗するカトリック勢力の結集と政治的反動をいい、第二にはプロテスタント主義との闘いに助長されたカトリック教会内の改革運動をいう。第一の意味では、16世紀後半より三十年戦争を経て1648年ウェストファリアの和議に至るまでの、スペイン・ハプスブルク家を中心とする一連の政争をさす。とくに南西ドイツおよびポーランドをプロテスタントから奪回した意義は大きい。第二の意味では、カトリック教会の内部改革はルターの宗教改革以前から、ロッテルダムのエラスムス、スペインの枢機卿(すうききょう)ヒメネスらキリスト教的人文主義者によって提唱されており、オラトリオ会(1516認可)をはじめカプチン会、テアティノ会、バルナバ会、ウルスラ会など新修道会の創立や旧修道会の刷新が相次いで進展しつつあった。この動きはルターの宗教改革に刺激されて急速化し、1540年イグナティウス・デ・ロヨラによるイエズス会の創立、1545年より63年におけるトレント公会議の開催によって、プロテスタントに対立してカトリック教会内部の刷新と教化を企図するに至った。これらの運動により、司教の司牧権を強化し、優秀な司祭を養成して布教活動を展開し、多年の悪弊であった不在聖職禄(ろく)を撤廃して、信者の教化善導に大きな効果をあげた。その結果は、プロテスタントの浸透を阻止し、むしろ失地を回復し、「地理上の発見」の波にのって新世界に対する布教にまで発展した。またスコラ学の復興と神秘神学の深まりに加え、人文主義的な聖書および教父研究の新生面を開いた。なお、バロック芸術の発達もこのような反宗教改革の精神を背景とするものである。
[坂口昂吉]
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反宗教改革
はんしゅうきょうかいかく
Counter Reformation
対抗宗教改革ともいう。一般には 16~17世紀の宗教改革に対するカトリック側からの反動として理解されているが,最近の歴史研究はカトリック側の改革運動の存在を認め,論争的な反宗教改革の概念は問題視されている。カトリック教会の改革運動はルターの宗教改革以前にさかのぼるが,パウルス3世はこれを宗教改革に対抗するものとして進めた。 1534年のイグナチウス・デ・ロヨラによるイエズス会の創設,45~63年のトリエント公会議はカトリック改革の柱であるが,この公会議はルターに対抗して義認の教義を明確にし,秘跡を限定し,正典リストを確認し,ウルガタ訳聖書を教会公認の聖書と定め,また職位兼有の禁止,司教の教区定住,聖職者の教育制度の完備などの改革を行なった。しかし当時の教会と政治の密接な関係から新旧両陣営とも内部に宗教的改革と政治的反動の混交がみられる。これは一方では両陣営の対立を固定化し,他方では教会の世俗権力への従属 (国教化) を促進した。
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反宗教改革
はんしゅうきょうかいかく
Counter-Reformation
16世紀の宗教改革に対抗して行われたカトリック教会の内部改革と反動の運動
イタリアとスペインがその中心。カトリック内の自己改革運動はルターによる宗教改革に前後して始まっていたが,大きな動きとしてはトリエント公会議が重要。神聖ローマ皇帝カール5世とローマ教皇パウルス3世は1545〜63年北イタリアのトリエントに公会議を開いて教会内部の弊害を除き,結束を固めるとともに,ローマ教皇の至上権を認めて正統主義を確立し,さらに宗教裁判を組織して禁書目録を定めた。修道院の改革も行われ,スペインのイグナティウス=ロヨラはイエズス会(ジェスイット教団)を設立し,民衆の教化と海外への伝道に力を入れた。これによって,カトリック教会は南・東ヨーロッパ諸国を中心に勢力を回復するとともに,近代宗教として成長した。
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反宗教改革【はんしゅうきょうかいかく】
狭義には16世紀半ばから17世紀半ばにかけ,宗教改革に対抗して展開されたカトリック教会の宗教運動。〈対抗宗教改革〉とも。ただし,現在では,宗教改革以前からあるカトリックの自己革新運動,すなわち〈カトリック改革〉の一部との見方が有力である。上記の時期,カトリック陣営では,トリエント公会議等による教皇権の再建,イエズス会創設等による教会内部の改革および国際的な宣教活動が展開された。バロック美術,イエズス会演劇,近代神秘思想,スコラ学の復興なども文化史上重要な要素。政治上はアウクスブルクの宗教和議(1555年)からウェストファリア条約締結(1648年)までに,プロテスタントとの対決姿勢が強まり,三十年戦争をはじめとする宗教戦争が勃発した。
→関連項目サラマンカ大学
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デジタル大辞泉
「反宗教改革」の意味・読み・例文・類語
はん‐しゅうきょうかいかく〔‐シユウケウカイカク〕【反宗教改革】
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はん‐しゅうきょうかいかく ‥シュウケウカイカク【反宗教改革】
〘名〙 キリスト教のプロテスタントによる宗教改革に対抗する、カトリック教会内部の革新運動。また、プロテスタントに対する宗教的・政治的反撃の運動。トリエントの宗教会議、イエズス会の創設などがその具体化。各地で宗教戦争を惹起したが、並行して海外布教も進展した。
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はんしゅうきょうかいかく【反宗教改革 Counter‐Reformation】
〈反宗教改革〉あるいは〈対抗宗教改革〉という表現は1776年にゲッティンゲン大学の法制史家ピュッターJ.S.Pütterが,プロテスタント化された領地に対するカトリック領邦君主の実力による再カトリック化の試み,という意味で初めて用いた。その際ピュッターは反宗教改革を個々のできごととして理解して複数形(Gegenreformationen)で表現していたのに対し,歴史家のランケは,1803年の《改革時代のドイツ史》で単数形(Gegenreformation)で用い,それ以来反宗教改革はしだいにひとつの時代概念となった。
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世界大百科事典内の反宗教改革の言及
【イタリア美術】より
…ルネサンス人文主義もまたこの間に西欧に浸透することとなった。 第2は,ゲルマン諸国を中心として16世紀に起こったプロテスタントに対抗する,いわゆる〈反宗教改革〉の精神運動がローマから発生したことである。この運動は新教に対して旧教のドグマと教会の権威を守るばかりではなく,新興文化であるゲルマン的文化に対するラテン文化の対抗運動としての性格ももっていた。…
【カトリック改革】より
…ルターやカルバンの宗教改革以前から存在していた,カトリック教会独自の自己改革,革新運動。カトリック改革は,ルターの出現以後,ルターに反対する反動としての反(対抗)宗教改革Counter‐Reformationという形をとったが,カトリック改革すなわち反宗教改革ではない。かつてはカトリック史家もプロテスタント史家も宗教改革ないし教会改革の時代を,ルターやカルバンの〈宗教改革〉とそれに対抗して起こった〈反(対抗)宗教改革〉(たとえばトリエント公会議)という二つの概念だけで説明し,カトリック改革という概念を用いても,それは反宗教改革と同義語として用いられてきた。…
【キリスト教】より
…ビザンティン帝国の滅亡とともにロシアの教会は独立し,1589年にはモスクワ府主教が総主教に格上げされ,名実ともに東方正教圏の最大の勢力となった。現在のウクライナ,ベラルーシに当たるポーランド・リトアニア領内の多数の正教徒は,カトリック反宗教改革の余波で,16世紀末に合同教会に組み入れられ,それに反対する勢力との闘争が続くが,文化的には西ヨーロッパとロシアの接点となり,さらに正教会そのものの近代化にも貢献した。オスマン帝国の直接の支配を逃れたモルドバとワラキア(両国は現在のルーマニアに当たる)の教会は比較的順調な発展を遂げ,コンスタンティノープル総主教座にも影響力を有した。…
【バロック】より
…なお,バロックの概念については,〈バロック美術〉の項の冒頭の記述をも参照されたい。
【世界観としてのバロック】
文化・思想の原理としてのバロックは,とりわけ,一方では〈反宗教改革〉運動によって,また他方では〈科学革命〉のもたらした動的宇宙像によって体現されている。
[イエズス会]
反宗教改革とは,プロテスタントの〈宗教改革〉からの打撃から立ち直るべくカトリックが対抗して行った自己改革・自己脱皮の企てであり運動である。…
【バロック美術】より
…ルネサンス期,マニエリスム期においては,芸術は上層のエリートによってのみ享受されるものであったが,絶対主義国家の運営のためには大衆文化をつくり出すことが必要であった。 第3の,通常もっとも直接的な,バロック様式発生の要因とされる哲学は,16世紀にヨーロッパを二分した宗教改革と,ローマ・カトリック教会の変革運動である反宗教改革である。まず,プロテスタントは教会に聖像を置くことを禁じ,聖母,聖人の崇拝をも含むカトリックの教義の多くを否定し,人文主義のもたらした道徳的態度を糾弾した。…
※「反宗教改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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