南城跡(読み)みなみのじようあと

日本歴史地名大系 「南城跡」の解説

南城跡
みなみのじようあと

[現在地名]大柿町大君

大君おおきみ川河口右岸の丘陵にあり、現在は埋立によって旧状を失っているが、もとは丘陵が岬状に海上へ突出し北側が深い湾となり、東に早瀬はやせノ瀬戸をひかえ、水軍基地としては格好の地をなしていたと考えられる。正徳五年(一七一五)の佐伯郡両能美島寺社古跡覚書帳(沖美町専念寺蔵)には「城主相知レ不申候」とある。「佐伯郡誌」には「田中秀干始めて居城し、その子秀栄に至り平氏上陸の時この城に籠らんことを求め、秀栄之を許し、宗盛乃ち籠城して南城と改むという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報