大君村(読み)おおきみむら

日本歴史地名大系 「大君村」の解説

大君村
おおきみむら

[現在地名]大柿町大君

柿浦かきのうら村の東南にある。大君川北部の小平地に集落が展開し、村の南部は陀峯だぼう山の山地が占める。東は早瀬はやせノ瀬戸(瀬本瀬戸・大君瀬戸)を隔てて安芸郡倉橋くらはし島に相対する。宝暦一三年(一七六三)の「能美島志」(沖美町専念寺蔵)に「多海」とあり、佐伯郡の「国郡志下調郡辻書出帳」は「大美村」ともいうと記す。なお江戸期成立の「田中氏由緒」(「大柿町史」所収)の久寿元年(一一五四)の記事には「大美浦」とみえる。伝えによれば、安徳天皇が当村坪土内つぼつちうち(現坪土)の港に船をとどめたことによる地名といい、大君越・王泊おうどまりはいずれも同天皇ゆかりの地という。「大君古跡伝」(「大柿町史」所収)によれば、汐迫しおさこ浜戸湖はまどこ(現浜床)大窪おおくぼ(現大久保)平山ひらやま紙漉田かみすきだ平迫ひらさこなどの地は、江戸時代以前に大荒神垣内家(田中家)および大平家の一族によって開発されたという。

大君村
おおぎみむら

[現在地名]舞鶴市字大君

舞鶴湾の西岸喜多きた村の北方に位置し、小さな谷が海に臨む地に集落がある。ここから下東しもひがし村に通ずる道がある。

慶長検地郷村帳に高一一一・八五石「大君村」とみえる。土目録も同高で、内訳は田方九九石余(六町九反五畝二三歩)、畑方一二石余(四町二畝一六歩)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報