十人町(読み)じゆうにんまち

日本歴史地名大系 「十人町」の解説

十人町
じゆうにんまち

[現在地名]長崎市十人町・梅香崎町うめがさきまち東山手町ひがしやまてまち

館内かんない町の西、新地しんち町の南にある。もとは長崎村十善寺じゆうぜんじ郷のうち。万治元年(一六五八)野母のも遠見番所(現野母崎町)の地役人一〇名の官舎当地に設営されたためにこの町名が付された。安永七年(一七七八)の長崎図(内閣文庫蔵)や享和二年(一八〇二)の長崎絵図に十人町とみえ、その北部に唐人番・遠見番として屋敷棟の連なる景観が描かれる。

十人町
じゆうにんちよう

[現在地名]高崎市砂賀町すながちよう

城郭東方にある侍町。東から北はとおり町、西は砂賀町。「高崎寿奈子」に「砂賀町の内十人町、西側にて長さ九十間二尺」とある。「高崎志」には「元十人町、南北ノ町ノ東側ヲ云、城主家人ノ宅十区アリ、今ハタヾ十人町ト呼ベドモ、古キ帳面ナドニハ元十人町トアリ、昔安藤氏ノ時此所ニ町同心十人居ル、コレヲ町家ニテハ十人衆ト呼シト也、十人町ノ称此ニ出タリ、彼同心後ニ郭内ニ移リシ後ハ、元十人町ト呼」とあり、寛政(一七八九―一八〇一)頃すでに元十人町といわれていた。

十人町
じゆうにんまち

[現在地名]唐津市十人町

唐津城築城時に城下町周辺に下級武士を居住させた。十人町はその一つで、大石おおいし町の南側周辺、東寺ひがしてら町の北側にあり、藩政期は直轄地であった。明治一一年(一八七八)大石村に編入され、同一六年分村してひがし村となり、同二二年唐津町に合併

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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