東寺町(読み)ひがしてらまち

日本歴史地名大系 「東寺町」の解説

東寺町
ひがしてらまち

[現在地名]米沢市大町おおまち一―四丁目・相生町あいおいちよう福田町ふくだまち二丁目

免許めんきよ町の東に位置し、南北の道の西側は職人が多く、東側は城東外周にあたり寺院が配置されている。上杉氏入部後の成立。脇町一三町のうち。寛文一二年(一六七二)の惣町軒数目録によれば軒数一二七余、うち無役寺二三余・役寺五四余、ほかは町人屋敷、うち無役一〇。無役の町人は山上やまかみ大橋までの道整備、川除普請に出役、職人は品々役を負った。

東寺町
ひがしてらまち

[現在地名]唐津市十人町じゆうにんまち

唐津城下建設に際し、そう(内町・外町)外郭に陣屋式御堂をもつ寺院を防御目的のため集中したが、総町の東南の寺院町が東寺町である。法蓮ほうれん(日蓮宗、境内に水野家重臣の墓がある)少林しようりん(臨済宗南禅寺派、境内に土井家重臣の墓がある)来迎らいこう(浄土宗)養福ようふく(浄土宗、宝暦年間の大関領巾振山の墓がある)東雲とううん(曹洞宗)太洋たいよう(曹洞宗、市文化財の天正年銘入六地蔵塔がある)教安きようあん(浄土宗)竜源りゆうげん(曹洞宗)栽松さいしよう(曹洞宗、現在廃寺)が建てられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報