朝日日本歴史人物事典 「北野鞠塢」の解説
北野鞠塢
生年:宝暦12(1762)
江戸後期の文人,本草家。姓は佐原,幼名は平八。仙台に生まれ,天明年間(1781~89)江戸に出て中村座の芝居茶屋に奉公。のち日本橋住吉町に骨董屋を開き財をなし,北野宇兵衛,菊屋宇兵衛のち剃髪して鞠塢などと称する。文化1(1804)年所払いとなり,向島寺島村に3000坪の土地を買い百花園を営む。加藤千蔭,村田春海,大田南畝,亀田鵬斎,大窪詩仏ら著名な文人の協力により,梅樹を植え文人趣味の作庭の名園とする。『都鳥考』で墨田川の都鳥は鴎の一種と説く。<著作>『春野七草考』『秋野七草考』『群芳暦』『墨水遊覧誌』<参考文献>上野益三『日本博物学史』
(遠藤正治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報