北条時益(読み)ほうじょう ときます

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条時益」の解説

北条時益 ほうじょう-ときます

?-1333 鎌倉時代の武将
北条時敦の子。元徳2年六波羅(ろくはら)探題南方となる。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年反幕挙兵の赤松則村(のりむら),足利高氏(尊氏)らに六波羅を攻めおとされる。六波羅探題北方の北条仲時とともに,光厳(こうごん)天皇を奉じて東へのがれたが,同年5月7日京都東山(関山,四宮河原,守山の説もある)で戦死

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朝日日本歴史人物事典 「北条時益」の解説

北条時益

没年:正慶2/元弘3.5.7(1333.6.19)
生年:生年不詳
鎌倉末期の最後の六波羅探題。時敦の子。左近将監。元徳2(1330)年六波羅探題南方に就任。正慶2/元弘3(1333)年後醍醐天皇に応じた楠木正成,赤松則村,足利高氏らと戦うが,六波羅を攻め落とされる。探題北方の仲時と共に光厳天皇らを奉じて東国を目指したが,四宮河原で流れ矢に当たり死去した。

(森幸夫)

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