北山一揆(読み)きたやまいっき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北山一揆」の意味・わかりやすい解説

北山一揆
きたやまいっき

大坂の陣に際し紀伊国(和歌山県)に発生した二度の土豪一揆総称熊野(くまの)一揆ともよぶ。第一の一揆は、1614年(慶長19)大坂冬の陣に領主浅野長晟(ながあきら)や新宮(しんぐう)城主浅野忠吉(ただよし)らが徳川方として出陣した虚をつき、牟婁(むろ)郡北山郷の土豪が新宮を攻撃したものであるが、新宮の留守居(るすい)戸田六左衛門に打ち破られた。第二は翌15年(元和1)に日高、有田両郡に発生し、夏の陣の岸和田の戦いで勝利したあと帰国した浅野長晟に鎮圧されたもの。浅野氏は二度の一揆を徹底的に弾圧し、806名を「成敗(せいばい)」した。この一揆は、検地と兵農分離策によって打撃を受けた土豪が、大坂の陣を契機に小百姓を率いて反撃に出たものであり、大坂方と一揆の間には連絡がとられていた。大坂の陣を契機とした一揆は、このほかに丹波(たんば)、大和(やまと)、摂津にも発生し、一時的に徳川方の勢力を分散させる効果をもったが、すべて個別に撃破されていった。

[保坂 智]

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